「著者と読者」                                    中村省一郎
(日本語を乱さず、分かりやすい文を書くために)

1、読者の設定と語彙の選択

私は日本で、「なーんだそんなこと知らないのか」といってよく笑われる。ひどいときなどJRの窓から見えたOIOIの看板の意味が分からず隣の席の人に聞いたばっかりに「ばかだねーあんたは。あれはマルイマルイだ」といわれ、良い年をして大恥をかいたことがある。またあるとき,関西のある食堂でメニューの一部にわからないことがあって質問したところ「ちょっとだれかきてんか、このひとなー、変なことききはんねん」と店中のお客に聞こえるような大声で叫ばれて、恥かいたこともある。 米国へ移住してよかったことは、人の質問が可笑しいからとか、発音が悪いといって笑われたことが一度もないことである。国民性の違いなのかも知れない。

内向性の私は、若いとき、読み方を知らないで恥かいたことで自分を責めた。しかし職業に就き、自分でも多数の本や論文を書き、他人の書いたものを審査したり、学生のレポートの訂正などを繰り返すうちに、理解しにくい言葉や文章は、多くの場合書いたほうが方が悪い、と気がつくようになった。そう考えるようになってから、気楽に質問をするようになったが、未だに恥をかくこともおおい。 また、最近のように日毎に増す一方の単略語やカナ英語の意味がわからなくて困っている人も大勢いることがわかった。このようなとき、人々は公に質問することを避け、分からないままですごすか、ごく親しいひとに、そっと聞くのが普通のようだ。

さて、以下に書くのは、著者として語彙の選択や説明にどのようにすべきかの一考察である。さらに、読者が理解できないといって、著者が叱りつけたり、また他人がばかにすることが妥当かについても、触れたい。

歯のたたぬような難しい文を読んだとき、著者がどういう読者を相手に書いたのかの考察をすると役にたつことがある。 著者になる場合は、どのような読者を対象に書いているのかのはっきりした目標とその意識が大切である。

表面に被膜加工がしてあり、加熱中の料理がこびりつかないようにしてあるフライパンをご存知であろう。それに関連して「PTFE」、「ポリテトラフロロエチレン」、「テフロン」、の意味を御存じであろか。ポリテトラフロロエチレンはその被膜の正式の化学名で、略してPTFEと呼ばれることもある。

さてこのフライパンについて私が文章を書いたとして、そのテフロン の意味を理解しない人がいたとしよう。私はその人を常識のない人として無視、あるいは軽蔑してもよいであろうか。答えは否だ。 実は、テフロンは一般名ではなくて、デユポンという会社の製造するポリテトラフロロエチレンの商品名だからで、同じものでも他の会社の製品は

TEFLON is a registered trademark of Dupont.
FLUON is a registered trademark of ICI Ltd.
HOSTAFLON is a registered trademark of Dyneon.
POLYFLON is a registered trademark of Daikin Industries, Ltd.
ALGOFLON is a registered trademark of Ausimont USA, Ltd.

といったぐあいに、まったく異なった名でよばれている。 したがって、フライパンの被膜だからといってテフロンだと思い込むひとがいるとすれば、そこですでに間違いが起っている。

ポリテトラフロロエチレンは、化学を専攻した人なら、化学記号が書けるように表現されている。化学専攻といいながら、その意味が理解できなとすれば、これはその人の責任であり、本当に化学専攻なのか疑われることにもなる。

PTFEはポリテトラフロロエチレンの製造や販売にかかわっている人なら知っているが、化学を専攻した人すべてに、説明なしでも分かれと、注文するのは無理だ。

文章をかくとき、どの呼び方をつかえばよいかは、次の4段階のどの読者の層に対して書くかによって異なる。

(1)テフロンの由来を知らない一般の読者。
(2)テフロンをはじめ、他の会社の商品名も知ている読者層。
(3)化学専攻をした人達。
(4)ポリテトラフロロエチレンの製造や販売にかかわっている専門家。

自分の意図した読者層に当てはまらない語彙をつかうときは説明が必要で、それなしに理解されないとすれば、その責任は著者にある。

以上、著者として読者層により語彙をどのように選べばよいか、例を用いて説明したが、分かりやすい文を書く書くためにはこれが第一歩で、その他にも重要な試練がいくつかある。
 

2、脂肪取り作業

意識的に難解な文章を書く著者が居る。アイザアクニュートンは歴史的な例である。ニュートン(1642-1727)が生まれたのは、丁度ガリレオ(1564-1642)が死んだ年で、地動説を唱えて迫害されたガリレオの時代からは一世代の時しか過ぎていなかった。ニュートンの理論は、近代科学の基礎になっていて、数学や物理でニュートンの果たした役割は、果てしなく大きいが、当時ニュートンの書いた理論に文句をつける人は、教会関係者や学者にも多くいた。そこで彼は、論文をラテン語でかき、非常に読みにくくした。

現在でも、研究の成果をわざと難解に書く研究者が多くいるのは、研究の詳細については、他人に知られたくないと考える研究者も多いためだ。このような難解な文章は著者による読者層の設定の問題ともいえこれ以上は触れないでおこう。

さて多数の一般読者のために書かれたのに、文章が難解である場合については、すこし細かく考える必要がある。私の経験に基ずいて書くと、おおく遭遇する難解な文というのは、学生の書いてきたレポートや博士論文である。指導教官として、その学生が何を言いたいのか、わからないではないが、他人に理解出来ない表現を、ほっておくわけにはいかない。なぜ難解なのかの理由はほぼ二つの場合に分けられる。第一は、自分の知っていることは、相手にも当然わかっていると思い込んで、非常に少ない説明で、意を伝えようとしている場合。 第二は、一個一個の文章が、複合文になっていて、何が主語で、何が動詞、目的語かもわからぬくらい、複雑になっている場合だ。

第一の場合、その分かりにくいところを、他人に分かるように口述させてみる。それも、私を先生と思わず、相手は専門が異なる大学院生、と仮定してやらせると、文章では書いてない説明がぞくぞく出て来る。そこで、いま君が口でいったように書いて来なさいと申し付ける。第二の場合は、私自身で赤鉛筆でマークをしながら、まずは文章を短く切り、余計な言葉を取り去るか、あるいは分かりやすい表現におきかえる。この作業はかなり骨のおれる仕事である。

自分一人で文を書くと、自分の癖に馴れ合いになり、なにが相手に分からぬのか見失うことがよくある。書いた文が分かりにくいと判断されたときは、読者層を一段低くして書き直すこと、それから、他人に読んでもらうとよい。私の周りの専門家(教授,助教授)は、自分で書いた書類や論文は、みな何等かの形で他人(秘書、学生、奥さんなど)に読んでもらってるようだ。専門の内容の分からない人でも、文脈を追って行って、意味の分かりにくい書き方を指摘することは十分できる。その最たる例は、出版社の英語専門の編集者達で、彼らに直してもらうと、余計な単語を取り除き、ほんのすこしの書き換えをしてくれただけでも、文章が引き締まり、読みやすくなるのが不思議である。「脂肪取り作業」とはこのことである。
 

3、仮名書きの英語

今回は語彙(ごい、言葉)の選択について書こう。英語にジャーゴン(Jargon)という言葉がある。岩波和英辞書には、訳の分からない言葉、と訳されているが、RandomHouseの英英辞書には、ある特殊なグループか職業に属する人の間でのみ使われる言葉、と説明している。覚えてしまえば、ジャーゴンは確かに使い易い。たいていは短いし、意味が明確である。しかし知らない人にとってはこれほど迷惑な言葉はない。

英語で不特定多数の読者あての記事や書物を書くとき、ジャーゴンを使わないように、非常に厳しい注意が払われている。だれが厳しいかというと、著者はもちろん、上司、教師、編集者など、原稿を読み直しする立場にいる人たちである。しかしどうしてもジャーゴンを使いたければ、初めにどういう意味かを説明してからやれば、それはそれでよい。

英語は日本語に比較すると、歳月と共に変化する速度が非常におそい。この事は世界の文化、政治、経済、その他の人類の活動にとって、非常に重大な意味をもつ。なせなら、地球上の半数以上の人たちは、英語を第一か第二国語として用い、情報の交流と外国間との通信は、ほとんど英語で行なわれているといえる。

私のわずかな経験でも、英語で書いた本が世界中の広い範囲で読まれていることは、読者からの質門や意見が、米国内は勿論、南米、東南アジア、スペイン、サウジアラビアを含む多くの国からよせられることからも明らかである。インターネットに出した趣味の本でさえ、この夏に出して以来、インド、フランス、ドイツから質問があった。

さらに、英語の文書は、少なくともスペイン語、フランス語、ドイツ語などには自動翻訳機によって書き換えられている。これも私自身の経験であるが、1994年に出版した本が、スペイン語に翻訳された。そのスペイン語版をはじめて受け取ったとき、まずやったことは、索引をどうしたかを見ることであった。もし原本と異なっていたら、翻訳者が長時間をついやして、原本の索引内の頁数と訳本のなかの同じ索引の対称表をつくったのである。ところが驚いたことには、順序も頁数も原本とまったく同じであった。そこで、本の中身の比較をしたところ、どの頁も原本と全く同じで、翻訳による頁の狂いは一切なかった。これが何を意味するか。先ずは、英語とスペイン語は、非常に近い関係にある。そして、自動翻訳機が旨く作動すれば、ここまで出来るのである。しかし、自動翻訳機に理解できないジャーゴン(地域でしか使われない言葉や外国語も含めて)が使われていたら、不可能となるであろう。この一例からでも、英語を急速に乱れさすことは許されないことが分かる。もし地域ごとに英語が独自に変化していったら、世界はすぐに混乱におちいる。日本への影響も計り知れない。

実際、同じ言葉の意味が国によって事なるため混乱を起こした例がある。トーモロコシのことを、米国ではコーン(corn)と呼び、英国ではメイズ(maize)とよぶ。コーンは英国では小麦を意味する。1844年にアイルランドで芋ききんが起こったとき、当時アイルランドを支配していた英国政府は、米国に小麦の大量買い付けを発注したのだが、コーンと書いたため米国の方ではトーモロコシの注文が来たと解釈した。この間違いに気がついた英国政府は注文の取り消しを計ったが、米国のトーモロコシ市場を混乱させ、またアイルランド市民をさらに不満と窮地へ追い込んだのであった。

さて、日本語はどうなっているかといえば、英語とは反対の方向を急速に進んでいる。その最大の原因は不必要な仮名英語の増加である。一部の人達にしか知られていない仮名英語はジャーゴンに属する。

その責任をインターネットに帰するする人もいる。確かにインターネットを使うためには、従来の日本語の語彙だけでは足りないので、英語を仮名書きにして使わなければならないことが多いことはたしかである。しかし10年前にはインターネットはなかったのに、略語がやたらとふえて、2―3年日本を離れていたら、何をいわれているのかとまどうくらいであった。日本語の単語が存在しそれで正確に表現出来るのに、わざわざ仮名英語を用いる例が急速に増加しているのはどういうことなのだろう。つい最近も、日経ヘルスという雑誌を見る機会があったが、サプリメントという言葉がやたらとでてきた。英語のsupplementの仮名読みで、健康増進のために服用する医療薬とそっくりの形をした固体または液体、つまり健康剤、と推定ができた。仮名がきのサプリメントの定義を読む機会がないのが、英語ではビタミン剤のことをsupplementともよぶので、間違いないのであろう。しかし発音がおかしい(サプルメントなら近い)。supplementは本来「補助するもの」という意味で、健康剤のみならず、補助員、補助教材など、広い意味につかわれる。

日本語でサプリメントと書かれると、もとの英語のsupplementをただ仮名読みしているのか、それとも健康剤だけを意味しているのか、判断できない。日本語に精通していて、英語にも何十年もの経験があっても、雑誌のなかに出て来る新しい仮名英語にこれだけ迷わされるのである。サプリメントは健康剤の意味で使われるとき、一部の日本人にしか通用しないジャーゴンといえる。サプリメントはスラング(slang、非公式、汚ない、あるいは非常識な言葉)だと思う。

仮名英語が日本語を大きく混乱させていることに気がつている人は以外に少ない。しかし、いいかげんな仮名書きのため、本来のスペルが分からないことがあり、英語の辞書も役にたたないことがある。さらに、英語を知らない日本人も多いことであろうから、その人たちにとっては、仮名英語はまったく迷惑な言葉であるに違いない。

仮名英語は、本来の英語の意味からずれて使われていることが多い。サプリメントも健康剤だけを意味するとすれば、その例である。したがって、文意が曖昧になりやすい。トラブルやシンプルもよい例である。これらの言葉はNHKのアナウンサーも盛んに使っているが、分かったようで本当の意味は、全文を英語に書き直すか、あるいはトラブルやシンプルを正確に日本語に書き直さなければ、納得できないことが多い。二重手間である。

仮名英語は英語をよく知っている人にもよく分からないのである。まったくおかしい。しかし、よく意味が分かったとしても、解決できない問題がある。それは、発音がきたないことである。ヘルシー、シンプル、サプリメントなどを例に考えても、ひどい訛のある発音で、いわば、米国では最下層階級で用いられている汚ない英語に相当している。米国の下層階級というのは、自分達も変な言葉を使うが、他人の言葉の習慣に関しては寛容であるらしい。しかし、教育レベルの高い層では、こんな発音を固持していたら、つまはじきになること間違いない。

日本滞在中、新しい仮名英語に遭遇して意味を聞き返すと、ほとんどの場合、常識はずれの、あるいは無教育な人間として扱われる。あるいは、おまえはインターネットを見ていないから知らないんだろうとか、年を取っているから分からないといわれる。(ある年齢を過ぎると、日本語を読む資格がなくなるのであろうか)。日本には従来、自分と少し異なる人間を軽蔑し、いじめる習慣がある。だから、いじめられているのであり、言葉の問題から、社会問題に転化する。ところが、このような発言者や著者は、英語の社会からはスラングとしか受け止められない発音の仮名英語平気で用いて、外国から馬鹿にされる行為をやるのである。

不必要な仮名英語(あるいは仮名外国語)を用いることによって起こる弊害も無視出来ない。いまや、日本語を話し読む外国人は多数いる。言い換えれば日本語も世界的に用いられつつあると言える。インターネットに書いた記事だって外国人が読んでいない保証はない。そういう人がいることも意識して、なるべくわかり易いように書くことは、著者の責任である。ほんのわずかな注意と心掛けで可能になる。またこのような努力が、日本人の読者にとっても、読みやすく理解し易い著作となる。

最近体験した日本での話であるが、若い新聞社員と話す機会があった。かれは、仮名英語のみならず何語でも、どのように使ってもかまわないという。悪い語彙や表現は自然に消えて浄化されてゆくので、新聞社や雑誌社がどんな語彙や表現を使うのも自由であると主張した。これが、新聞社や雑誌社を代表した意見とは信じられないが、このような考え方は日本語を混乱に導く原因以外の何物でもない。

長くなるので、結論を急ごう。著者は自分の使う言葉を熟知していなければならない。仮名英語を用いるときも、どこかに書いてあったから位で真似するのは、著者のやるべきことではない。使うからには、英語の語原、使用例をよく理解し、責任のある使い方をしなければならない。そうすれば、自然と、不必要な仮名英語の使用がなくなり、日本語の混乱は防げるであろう。

著者は、どんな語彙を使うこともできる自由をもっている。いわば、権力者である。それだけに、責任を忘れてはならない。読者を非難してはならない。意味の通じないところがあれば、それは著者が至らないためと考えるべきである。

功利的な面から考えても、同じ文を書くなら、ジャーゴンや仮名英語のため多くの読者を退けるのと(あるいは、理解しない読者を叱りつけたり軽蔑する態度をとるのと)、他方、多くの人に親切でわかり易く、世代を越えて、さらには人種の壁を越えて読まれる文を書くのとは、どちらが著者の将来のためになるかを考えると、答えは明らかだと思う。
 

4、実用文の形式

文は自由形式でかく随想、随筆の種類と、一つの主題にしぼって論意を伝える文の種類に分ける事が出来る。後者にはレポート、論文、手紙、メモが含まれる。この後者をここでは実用文形式と呼ぶことにし、わかりやすく書くための方法について論じよう。ここでは、文学的な作文については考えない。

実用文形式は、原則として次の5つの部分が必要である。
(1)問題の記述
(2)扱う範囲の定義
(3)問題解決法の記述
(4)結果の記述とその分析 (主題が提案書のばあいは、結果の予測)
(5)結論

この形式は、自然科学、工学はもとより、商業、人文科学の論文にもあてはまる。また一つの主題にしぼってかかれる手紙やメモにこの形式を用いると、簡潔で分かりやすい文にまとめることが出来る。レポート、論文では各部分を章あるいは節として扱い、題名をつけるのが普通であるが、短い手紙やメモではいちいち区切る必要はない。不必要または分かりきった部分を省くことも有りうる。しかし短いなら短いなりに、これらの要素を上記の順序で書いて行くことが大切である。

実際、分かりやすく書かれた実用文というのは、この形式になっていることが多く、一方分かりにくい文は、これらの重要な要素の何かが抜けていたり、また順序が適切でない場合が多い。

各部分で、前回までに述べた方法や注意が必要になる。さらに抽象的、あるいは一般的な記述を行なったあとは、少なくとも二つ位の例を用いて説明するとよい。多くの場合、分かりにくい文を読むとき、例が書いてあれば、例から先に読む人がおおい。架空の例よりはなるべく実例がよい。また、記述内容の時間(過去、現在、未来のいずれか)と空間(どこの場所で)を明確にしておく必要がある。

原稿はなるべく、同僚や周りの人に読んで貰い、感想を聞いて、手直しをするとよい。作文は50年後の読者にも分かり易く仕上げるように心掛けたい。そうすれば、出来たての言葉や、数年たてば消えてしまうような簡略語を避けることになるし、一語一語吟味しながら使うので、簡潔明瞭で、幅広い読者層に理解され、価値の高い作文に仕上げられるはずである。 (完)
 
 

「後書き」
分かりやすく書くということは、分かりやすく話すということにもつながっています。それは、方法を知り努力をすることによって身につけることが可能です。学校でそういう方法を、短い文を書かしたり、また悪文を改良させたりして、中学高校の生徒に教えることは出来ないものでしょうか。