花菖蒲を描く (6.16.03)

              武山文子

 

 梅雨時には、花菖蒲や紫陽花のような青系の花が美しい。

 青系の色鉛筆を持って写生に出かけた。三十分程歩けば、昭和の森公園がある。周りの山や森に囲まれて、自然な感じに植えられた花菖蒲は六日間も降り続いた雨の水分をたっぷり含んで群れ咲いていた。沼地への誘い役は背の高い葦である。 家族や夫婦で散策する人々も程よい人数で、古代紫・青紫・薄紫・青・白の花菖蒲が主役である。真ん中にジグザグと架けられた八つ橋を渡りながら、両サイドの花をゆっくり観る。コーナーの一角に腰を下ろして、じっくり観ながら写生をする。垂れ下がった花びらが三枚、その上に三本の管が立っている。隣は花びらが六枚できれいな縞模様になっている。湿地に目を落とすと、泥水の中でドジョウが元気に動き回っており、川蜷もいる。農薬を使っていない証拠だ。蛍もいそうである。

 細いサインペンで輪郭をとり、色鉛筆でぼかしてゆく。花の優しさと鋭い葉との対比がポイントだ。アヤメとカキツバタとハナショウブとアイリスの違いは何だろうと考えながら、一時間ほどで三枚描き上げた。

 柴犬も通る。子供も通る。おばさんも通る。

「わあー、本物よりきれい」

「絵が描けるって、いいね」

といった会話が頭の上から聞こえてくる。 翌日、〈この菖蒲園に蛍がいる〉という極秘情報を得て、黄昏時にもう一度、中年夫婦二組で訪れた。

 トワイライトタイムの花菖蒲はとくに白色が妖しい美しさを放っている。そう言えば、月下美人も夕顔も夜目にも白く咲く花だ。形が見えているうちにと、大急ぎでまた一枚スケッチした。蚊に刺されながら、描いたこの絵が一番気に入っている。

 夜への序奏、蛙の声を聞きながら、だんだん暗くなる畦道で、蛍の出現を待つ。最初の一匹を見つける期待感で気持ちが高まってくる。

「あ、いた」と誰かが呼ぶが、見つけられない。眼をこらしていると、木立ちの奥の暗闇から一つ二つと、にぶいレモン色の光が湧いて出てくるのが見えた。

 意外に明るい光を放っている、源氏蛍だ。目で追っていると、一瞬見失う。少し離れた土手のところで、また光る。花菖蒲の陰でひっそりと光る蛍を想像していたら、こんなにも乱舞するのだ。

 チッシュペーパーに一匹捕まえた蛍は小さな行灯を掌の上に作ってくれた。そっと放してやる。

「百匹もいれば本が読めそうだ」

「竹ぼうきで追いかけたものだ」

「麦わらで作った籠に蛍を入れたね」

と久しぶりに見た蛍に興奮した。四人は口々にそんなことを言いながら思いがけない夜のショウを楽しんだ。蛍に心を残しながらの帰り道、池の辺にくると、木立ちが切れて、明るくなった。深い瑠璃色の空に目を上げると満月があった。水面に姿を写した月はきれぎれに揺れている。花菖蒲に心を癒され、蛍を見て懐かしい昔が蘇り、月の光りに照らされて、とても優しい気持ちになれた。

 湿気の国、日本の良さをしみじみと味わった半日だった。花菖蒲のスケッチにもそんなしっとり感が少しは表現できたように思う。

 尾形光琳のカキツバタの屏風絵を見ると、意外にも花の色は黒に近い青紫である。ゴッホのアイリスも濃いプルッシャンブルーである。共に濃い紫や青が黄色いバックに映えている。私の描く花菖蒲は明るい青と紫である。