2003.6.1

西 村 三千男 記

連載「ポコポコ・イタリアーノ」

 

第2回 イタリア語学習事始め〜その2

 

 前回の続き。

1990年に、それより四半世紀前の出来事を回想して書き下ろしたものである。

 


引用(3)続 イタリア語 と 私 〈止してもーーいい話 第十話〉

(原文は1990.9.5.記)

 

生まれて初めてイタリアの土を踏み、ミラノのホテルにチェックインした時のこと。

339号室へ案内されて行くと丁度部屋の前にいた初老のメイドが私にボンジュールノ

とか何とか挨拶してトレトレノーベが、どうした、こうしたと話しかけるではないか。

トレトレノーベは339のことと直感が働きました。

 

私がキーでドアー上の339を指してトレトレノーベと復唱すると、ボーイとメイド

が一緒になってイタリア語入門講座が始まってしまいました。その後、何処でもこんな

調子に成って行くのでした。レストランでも、ホテルバーでも、ビジネスのパートナー

でも、第一話のコケットリーでも誰もが東海の貴君子にイタリア語を教えたがるのでし

た。

 

大体イタリア人は感が良く、外国人がイタリア語の片言を話すと直ぐ何を云いたいの

かを察して、喜んでそのイタリア語を手直しを始めたがる傾向にあるようです。これが

気取り屋のイギリス人だと発音が不正確では先ず通じないし、やっと通じても頼まれも

しないのにこちらの発音を手直しするなど考えられません。また尊大なフランス人だと

例の鼻音等が不正確では「この田舎者め!」と云った雰囲気で聞こえない振りをするよ

うに思えます。その点、日頃からイタ公などと軽蔑され、プライドの高くないイタリア

人は気さくであります。この「誇り高からざるところ」も私がイタリアを愛する有力な

理由の一つでもあります。

 

25年後にこんな雑談をするのなら、あの時もっと種々習って記憶しておけばよかっ

たのにと悔やまれる昨今ではあります。

                                          (第十話 おわり)

 

 

 

 

引用(4)続々 イタリア語と私  〈止してもーーいい話 第十一話〉

(原文は1990.9.13.記)

 

パ・リーグ会長の堀新助氏(今シーズンロッテ金田監督を叱ったあの人)は60才を

過ぎてからイタリア語をマスターされたそうです。外交官であった氏は駐イタリア大使

になられてから一念発起し、パーティー等でイタリア語でスピーチすることに決め、大

使館員の書いた原稿とテープを車の中で一所懸命練習されたのだとご自身で語っておら

れます。

 

かって、商社の駐在員からも「イタリア語は楽ですよ.実用から入れます.全て母音

で終わるところが日本語に近いので、発音やイントネーションでも苦労が少ない.英語

やフランス語を習得する努力の何分の一かでマスター出来ますよ.」と聞かされたこと

を思いだします。

 

語感も親しみ易かったり既に何かで知っていて取っ付き易いのがあったりします。

少し思いつくままに例を挙げてみます。

 

ウノ、ドゥエ、トレ、クァトロ、チンクェーーー、ソロ,アバンチ, アンダンテ、

ピッコロ、バンビーノ、セーノ、カリーナ、マンジャーレ、ストラーダ、 ママミア、

ソレミヨ、ペペローネ、ポモドーリ、カピート、 フィニート、 アリベデルチ、

かなり際どいのにオッタッタチンクェ(=85)、チンチン・チンザーノこれで止め。

 

  少しフランス語を知ってる方は、A−90をフランス語ではA−20X4+10と

表すことをご存知でしょうが、イタリア語では 第二話 で述べたようにアーノバンタ、

何と単純明快!!

 

  私も60才にはまだ 大分余裕があるので 「一丁やってみるか」 が現在の心境で

あります。

 

                                                     (第十一話 おわり)

以下は次回。