2003.7.17

西 村 三千男 記

連載「ポコポコ・イタリアーノ」

 

第3回 イタリア旅行記〜2002年秋

 

私にとって最初のイタリア旅行は1965年9月。以来30有余年にわたり業務出張と

私的旅行を繰り返して、最新の(私的)旅行は2002年10月。

その旅行記を「トスカーナ紀行(その2)」としてまとめて一部のアイソマーズに既に

お届け済みであるがあらためてここにご紹介する。

なお、(その1)も後日この連載に加える予定である。

 

 

 

 

                            平成14年11月15日

各 位 殿

                                   アイソマーズ

                                西 村 三千男

 

           トスカーナ紀行(その2)

 

 10/1〜16イタリア、ドイツ、オランダを旅行した。

 昨年5月のトスカーナ旅行はベストシーズンであった。そのため、特にフィレンツェの

人気の観光スポットは超繁忙で、長い入館待ちの行列が出来ていた。今回はオフシーズン

を狙ったつもりであったが、10月前半はハイシーズンの終盤とでも云うのか観光客は未

だ適度に多くて、ウフィッツィ美術館だけは入館までに40分待ちであった。

 今回はフィレンツェの後はボローニャ、パルマを巡ったので「トスカーナ紀行」とは言

えないが、前回の続報の意味で「トスカーナ紀行(その2)」とした。

 

1.「中抜き」で「手作り」の旅行プラン

 

 ・試みに、今回は旅行エージェントを頼まず、ホテルはインターネットで、航空券は全

  日空の顧客デスクで手配する所謂「中抜き」で準備した。なお鉄道もトーマスクック

  の時刻表とインターネットで容易に立案出来た。

 ・この方が安上がりかどうかは分からないけれど、結果としてトラブルも問題点も皆無

  であった。

 ・ホテル予約は目指すホテルのコンピュータと自動応答で対話し合意に達すれば、後か

  ら確認のメールが届く。合意した室料には税金、朝食が含まれていてチェックアウト

  する際の支払い金額そのものであった。この透明性が気に入った。

 ・インターネットの急速な普及に伴って、航空会社もホテルも顧客と直接契約して旅行

  エージェントに手数料を払わなくなる傾向が強まると、この先エージェントの存在は

  どうなるのだろうか。パッケージツアーだけが彼らに残された活路なのか。

 

2.ヨーロッパの10月の気候

 

 ・イタリア中北部の気候は概ね日本と同レベルである。晴天にも恵まれフィレンツェで

  は肩を露出した女性と毛皮を着た女性が混在していて面白かった。

 ・イタリアからドイツ(デュッセルドルフ)、オランダ(デルデン、ヘンゲロ)に移動

  したら気温が約10℃下がって急に寒くなり、夫婦とも防寒衣を購入した。

 ・CNNで見るベルリンや東欧圏の気温は更に低く、季節の変り目ではヨーロッパの気

  候は地域差が大きい。

 

3.欧州統一通貨ユーロ

 

 ・今回の旅行で統一通貨ユーロの恩恵を初めて享受した。これまで国毎に両替と再両替

  に悩まされていたのが解消したのである。もっとも、現地の人々の中には通貨切替時

  に便乗値上げがあったとしてこれがインフレにつながることを懸念する声もあった。

 ・また国際キャッシュカードを使えるオートマットが街頭に広く普及してきて、TCを

  組む必要性も薄くなった。

 ・日本から出国する前に念のため100ユーロのパックを購入しておき、後は必要な分

  だけその都度現地のオートマットから国際キャッシュカードで引き出すのである。

 

4.再びイタリアの治安について

 

 ・昨年5月の旅行でイタリアの治安が改善著しいこと、ホームレスの浮浪者がドイツや

  東京よりも少ないこと、街路の清掃もドイツや東京よりきれいになっていること等を

  報告した。多くの方々から「それはジェノア・サミット直前の特殊事情であろう」と

  のコメントがあった。

 ・ガイドブック類にも引き続きイタリアの治安の悪さに注意するよう記載されている。

 ・身構えてイタリア入りしたのであったが、今回も拍子抜けする位イタリアの治安は良

  かった。一人のジプシーにも出遭わなかった。浮浪者も東京より少なく、街路の清掃

  も行き届いていた。

 ・旅行中に最大の自動車メーカーFIATの経営破たんのニュースを聞いたが、道行く

  人々は表情も明るく、服装がよく、レストランや商店も繁盛していて街に不況色は無

  かった。

 

5.イタリア国鉄

 

 ・今回のイタリアで唯一の不愉快な思い出はフィレンツェSMN中央駅で指定乗車券を

  購入する際に経験した。旅行前には時刻表だけ調べて乗車券は手配していなかった。

 ・予てよりイタリア国鉄の出札窓口は、少ない窓口、長い行列、不親切な応対等々で悪

  名高い。昔も最近もこれを散々経験済みではあったが、治安がこれだけ改善されたの

  なら、国鉄の出札窓口も改善されているかも知れないと期待したが外された。

 ・Firenze → Bologna → Parma → Milano の指定列車をメモ書きにして行列に並んだ

  が遅々として進まない。長い行列となっているのに8ヶある窓口の2ヶしか開いてい

  ない。以前、行列の途中で窓口を全閉された経験もあるので気が気じゃなかった。

 ・約1時間並んでやっと窓口へたどりつけた。女性の出札掛がメモをみてコンピュータ

  端末に入力しているのに、同僚の男性がフザケ半分にキーボードにタッチする。腹は

  立ったが切符はどうにか買えた。

 ・イタリアに限らずヨーロッパでは列車運行は日本の様に正確ではない。1時間程度の

  遅延は珍しくない。今回の Parma → Milano もそうであった。 おまけに遅延の表示

    が不完全な場合もあって、不運にも遅延に遭遇したらアナウンスに神経を集中してい

    ないと乗り外すリスクもある。

 ・ヨーロッパの駅には日本のような改札はまず無い。その代り、まるで異なった改札シ

  ステムが普及している。各所に設置されている刻印機で乗車券に自分で日時を刻印す

  るのである。バスや路面電車もこのシステムで不正乗車を防いでいる。

 ・私はこれを短距離専用、あるいは自由席用であって、指定席には刻印は無意味だから

  不要であろうと決めてかかっていた。これまでそれで済んできたのであったが、今回

  1等指定席の検札で車掌が「刻印していないと1人5ユーロのペナルティだよ.」と

  いう。仕方なく払おうとするとウインクして「次回からね.」でおしまい。

 

6.フィレンツェへの空路アクセス

 

 ・フィレンツェはミラノからもローマからも列車で2.5〜3時間かかる。今回は空路

  からアクセスしてみた。フランクフルトから Avro 社製の ARJ 85 という機体の短い

  飛行機に搭乗し約80分で着いた。

 ・ペレトラ空港という民間空港でガイドブックには褒めていないけれど、駐機中の機材

  も数機あって一人前の地方空港と見受けた。

 ・小さな空港は到着してからチェックイン荷物が早く出てくるというメリットがある。

  市の中心へ約5キロと近いので到着からホテルのチェックインまでアッと言う間であ

  った。

 

7.フィレンツェ

 

 ・前書きしたように、今回は一番人気のウフィッツィ美術館にも約40分待ちで入館で

  きた。昨年は寄り付けなかったその他の人気スポットも今回は全て挽回できた。

 ・ウフィッツィ美術館の館内は入館制限の効果でゆっくり鑑賞できる位のほどほどの混

  み具合であった。著名な名画の前では世界各国からのグループに添乗ガイドが各国語

  で解説している。立聞きするなら英、独、仏、伊など「選り取り聴き取り」である。

  館内に軽食も取れるバールがあるので、途中休憩しながら一日中粘ることもできる。

 ・ジョットの鐘楼の高さ84m に挑戦したが、 階段414段は心臓破りであった。

 ・アルノ川は何時見ても濁っているが何故だか今回は極端な泥水色で艶消しであった。

 ・婦人靴から出発したブランドのフェラガモが市の中心部にフェラガモ博物館を常設し

  ていて予約無しで見学できる。往年の名女優たちの注文靴の木型の実物など多数展示

  されていた。

 ・フィレンツェは皮革製品の本場である。家内の友人にレザークラフト工房を持って、

  種々の素敵なバッグを創る女性がいる。彼女に渡す子牛や子山羊の皮の原反を購入し

  ようと、ホテルで皮革原反の卸売り店を紹介してもらった。英語の通じない店員との

  皮の商談には難儀した。関連するイタリア語単語を日本を出発する前にあらかじめ調

  べて行くべきであった。家内が皮の感触を手触りチェックして候補を選び、最終的に

  は動物の鳴き声を模してコミュニケーションした。

 

8.ボローニァ

 

 ・ボローニァ大学はヨーロッパ最古の大学で、往時ヨーロッパ各地から学究が集まった

  という。中世、宗教の権威が絶対的であった頃に、教会の反対をものともせず世界で

  初めて人体解剖が行われたと伝えられている。自由都市の面目躍如である。

 ・その木造の解剖講義室テアトロ・アナトーミコとして復元保存され観光資源となっ

  ている。

 ・どっしりと重厚な街である。特色のポルティコ(柱廊)のイメージは新潟・高田の雁

  木をどっしりと大きく石造りにした様なものである。

 ・市の中心は大きなサン・ペトロニオ教会とその前のマッジョーレ広場である。滞在し

  た10月第2週末(金、土、日)には教会の大きなミサとその広場で秋のフェストが

  催行され、夜には花火や仮装パレードが賑わった。

 ・ホテルはこの広場に近い五つ星であった。チェックインする際にホテルの都合でセミ

  スィートにアップグレードされて今回の旅行の中で最高級となった。室料は勿論イン

  ターネットで契約した通りのままであった。

 ・立派なブランド通りがあって、少々お買物もしてみた。フィレンツェやミラノも同様

  であるが、イタリアのブランド街では自国ブランドが隆々としていて、世界各地で幅

  をきかせている婦人物のフランスブランドや紳士物の英国ブランドも通りの外れで小

  さくなっている。

 

9.パルマ

 

 ・パルマは食とサッカーの町という先入観がある。今回の旅行先に選んだ理由も単純に

  グルメ志向からであった。そして期待した以上に美味なる生ハム(プロシュート)と

  白トリュフとパルミジアーノ・レジアーノとの出会いがあった。

 ・パルマの生ハムはあまりにも有名で説明不要である。2日間の滞在中、朝昼晩ほとん

  ど毎食楽しんだことになる。圧巻はランチに偶然入ったガリバルディ広場の屋外レス

  トラン(Gran Caffe Orientale)だ。生ハムを切るだけ専門の職人がキッチンではなく

    客テーブル近傍に陣取っていた。家内は彼と並んで記念写真を撮影した。

 ・夕食は両日とも心積もりのレストランを予約した。どのレストランも手頃なお値段で

  イタリアの秋を堪能させてくれた。

 ・秋はトリュフのシーズンでもある。シェフおすすめの料理にはカメリエレが客テーブ

  ルで白トリュフをシュッシュッシュッとスライスしてくれた。目の玉が飛び出るほど

  高価かなと一瞬怯んだけれど結果はすこぶるリーゾナブルであった。

 ・ガリバルディ通りに日本でもその名を知られている高級食材店がある。お店の雰囲気

  は「明治屋のイメージ」ではなく、「老舗和菓子の本店のイメージ」にたとえたい。

 ・人口約50万人の地方都市にもピロッタ宮殿という文化遺産とその3階には圧倒的な

  収蔵作品数を誇る国立美術館がある。またパルマ川の向こうには日比谷公園を規模で

  も品格でも凌駕しそうなデュカーレ公園もある。

 ・去り難い気分でこの街を後にしたが、ミラノから電車で約70分だから何時の日か再

  訪する機会もあろう。

 

10.空港ラウンジではいま・・・・・

 

 ・国内外の大概の空港で全日空とその提携関係にある航空会社のゴールド・ラウンジに

  出入りする優待特権を今もキープしている。

 ・空港のラウンジとは本来はフライトを待つ間、混雑を避けて読んだり、飲んだり、同

  伴者と喋ったり出来る待合室であった。しかし、近年はOA設備が強化されて此処が

  あたかも仕事場のようになってきている。

 ・モバイルPCとインターネットで黙々と仕事をしている光景は珍しくなくなった。

 ・最近目立つのはイヤホーン付の携帯電話で延々と話し続ける人たちである。楽しそう

  に友達と話しているのではない。取引先とビジネス会話している風でもない。多分、

  自分の秘書に出張報告等を口述しているのか、自社のボスに今日の報告をしているの

  か、と言った雰囲気である。

 ・彼らの風貌と話している言語から推測すると、スェーデン等の北欧系とアングロサク

  ソン系が多そうだ。かってわが国にもいて今は少なくなった「企業戦士」かと思う。

 

                                                                       以上