ザルツブルブ音楽祭

武山高之(2004.10.29記)

 

今回の旅の主目的は『ザルツブルグ音楽祭』である。私は音楽には詳しくないが、コンサート・ホールの設計を手がけている音響工学の専門家で音楽にも詳しいリーダーがいて、楽しめた。

 

 今年の音楽祭は、723日から831日まで約40日間にわたって行なわれ、15000人を超える人が集まっていた。この間の観客総数は20万人を超える大イベントである。その70%が外国人。初日のウィーン・フィルの指揮は小澤征爾だった。

 

 私が鑑賞したのは、ウィーン・フィル、リハルト・ストラウス作曲オペラ『バラの騎士』、ドラマ風オペラアーサー王の3つであった。

 ウィーン・フィルと『バラの騎士』はFestspielhaus (祝祭大劇場)で行なわれた。

 『アーサー王』はFelsenreitschule(岩山の乗馬学校)というホールで行なわれた。ともに、2000人を超す観客を収容する大ホールである。

 

 小澤征爾のウィーン・フィルでの指揮を、

「太極拳のように始まり、阿波踊りのように盛り上がった」

と評した人がいたが、

「私たちが聴いたベルリオーズ『幻想交響曲』を指揮したジョルジュ・プレートルはフェンシングをしているようであった」

というのが、家内の評である。

 

 私の席は最前列。指揮者の汗が飛んできそうな距離である。序奏の蚊の鳴くようなバイオリンの繊細な弱音が直接に聞こえてくる。しかし前過ぎて、オーケストラの全体像は見渡せない。

 幕間に、二階最前列の同行者と席を代わった。ここからはオーケストラ全体の動きがわかる。指揮者がフェンシングのように狙った、その剣先のファゴットが動く。音に視覚が加わる。ここから見ると、女性はハーピスト一人だけである。

 

 『バラの騎士』第一幕は豪華な元帥夫人の寝室。浮気中のベッドシーン。第二幕は30mもある長大な貴族の館のサロン。これがみものであった。第三幕は売春宿。全裸の男性は出てくるハプニングがあった。毎年新しい演出がなされ、聴衆を楽しませているようだ。

 台詞も歌も全てドイツ語である。舞台の上のほうに、英語の字幕が出てくるが、追い切れない。日本語が欲しい。

 

 『アーサー王』は超現代風アレンジ。ペンギンが出てきたり、DNAの図が映像視されたりする。期待していたコスチュームも、鎧も、兜も出てこない。劇場は『サウンド・オブ・ミュージック』に出てくる岩山をくりぬいた劇場だった。 

 

 観客の多くは中年以上。

 服装はというと、女性はロングドレス、男性は蝶ネクタイ。 もちろん、杖を付いた男性も蝶ネクタイ。皺の多い老婆も胸を開けたロングドレスで着飾っている。少し若い女性は、カルメンのように華やかないでたちで、美を競っている。私たちはというと、女性は和服をリフォームしたドレス、男性は東京に出掛けるときとあまり変わらない。

 

 隣の席にいたイタリア国境に近いオーストリアの田舎から来たという紳士は、年に4,5回はザルツブルグに来て、音楽会を楽しんでいるといっていた。

 幕間には、みな、ロビーでワイングラスを傾けている。正門前の広場に出ている人もたくさんいる。劇場と街の通りが一体になっている。着飾った紳士淑女の様子を観ていると、みな大邸宅から出てきた金持ちのように見えるが、実体はそうでもないらしい。この日のために着飾って、楽しんでいる庶民もたくさんいるらしい。

 

 オペラの帰りには、皆で私の69歳の誕生日を祝ってくれた。思い出に残る誕生日だった。

 

 ちなみに、チケットの値段はというと、ウィーン・フィルの最前列席が2万円超、オペラが4万円超、ドラマチック・オペラが3万円超であった。また来ることもないだろうと、奮発しておいた。

 

 ウィーンでは国立歌劇場(オペラ座)やニューイヤーコンサートを行なうウィーン・フィルの活動拠点である楽友協会(Musikverein)を外から見た。ニューイヤー・コンサートのキップをとるのは大変らしい。

 

 この街には、格調の高いコンサートのほかに、気楽に楽しめるコンサートが幾つかある。キップは何時でも手に入る。私たちはその一つである《コンツェルトハウス》のコンサートに出掛けた。みなが知っているような曲をたくさん演奏してくれる。

 

 楽団員はモーツァルトの時代衣裳をまとっている。聴衆には、Tシャツ、ジーンズ姿もいる。観光バスでやってきて、1幕だけ見て帰る団体客もいる。東京のハトバスで、歌舞伎座の立見席で、一幕だけ見るようなものである。

 チケットは4000円。ザルツブルグ音楽祭より一桁廉い。ウィーンでは、クラシックは市民のものである。

 

 空港に向うタクシーのカッコいい青年ドライバーに、

「コンサートにときどき行きますか?」

と聴いてみた。

[一回行きました]

と言った。

[今年?]

と聞き返すと、

「生まれてから、この方」

ということだった。こんな人もいるウィーンである。