ドナウ河の船旅

武山高之

 

 ザルツブルグからウィーンに行く途中、メルクからジュルンスタインまでの30キロメータ弱を1時間半あまりかけて、ドナウ河の船旅を楽しんだ。

 

 この辺りは二千数百キロに及ぶドナウ河でもっとも景色のいいところらしく、ヴァッハウ渓谷の文化的景観として世界遺産にも指定されている。文化的景観というだけあって、ブドウ畑の続く美しい自然の中に、要塞のような修道院・教会や古城が幾つも現われる。みなバロック風の美しい建物である。

 中世史の本によると、ヨーロッパの城塞は帝国城塞、王宮城塞、都市城塞、教会城塞、修道院城塞などがあり、宗教者が支配する城塞も珍しくないようである。

 

 中流域で川幅は200~300メートルと大陸の大河としては狭く、流れも結構速い。動力のない時代には漕ぎ上がることが難しかっただろうと思った。大陸の川には日本の川のような川原はない。岸一杯まで水が流れているのが特徴である。両岸の景色は美しいが、水は決して「青く、美しきドナウ」ではなかった。

 

 船上でワインを味わいながら、ここでも何でこんな田舎に、こんな大きくて、立派な修道院があり、城があったのだろうかとまた考えていた。河下りの船の出るメルクも終点のクレムスも以前は栄えた街だったらしい。その後、ウィーンだけが栄え、これらの街は取れ残されたという。そのため、中世の佇まいが残され、我々が楽しめている。

 

 ここから東に流れ、黒海に注ぐドナウは東欧と中央を結ぶ重要な交通路であった。ローマ帝国の時代は蛮族との境界線であり、民族大移動のときはこの河を渡って、異民族が押し寄せてきた。11および12世紀の十字軍遠征の時はその通路になり、16世紀のオスマントルコの東欧侵略の時はその通り道になった。カソリック教会にとっては、東方への布教の重要な拠点でもあったのだろう。河は重要な交易路でもあっただろう。それに、重い税金を掛けたり、物資を略奪したりする地方豪族もいたようである。

 

 今は平和な中世の佇まいを残す風景のなかに、生臭い歴史の響きが聞こえてくる。十字軍の帰途、イングランドのリチャード獅子心王は、オーストリア公を侮辱した仕返しに、ジュルンシュタインの城に幽閉され、多額の身代金を払わされたという。この辺りより少し下流では、オスマントルコの軍勢が、メフテルの軍楽隊を従えて、ドラムの音を轟かし、威圧しながら行進してきただろう。

 

 下船したジュルンスタインは中世の趣を残した小さな村であった。山腹には、リチャード獅子心王が幽閉されたという廃城があり、周りはブドウ畑が続いていた。村には、小さなワイナリーがあり、村役場であるRathaus(ラートハウス)が趣を添えていた。ドイツ語のRathausは大都市にある市庁舎のことだと思っていたが、小さな村役場も同じ言葉で呼ばれていることを知った。

 

 遊覧船での説明は、ドイツ語、英語、日本語の3ヶ国語で行なわれた。日本人の観光客も多い。

 

(参考書)加藤雅彦『ドナウ河紀行』(岩波新書)、野崎直治『ヨーロッパ中世史』(有斐閣選書)、南塚信吾編『ドナウ・ヨーロッパ史』(山川出版社)ほか