2004.11.2

西 村 三千男 記

R&Dの語源〜その4

 

 Du Pont 社の C. Stine、E. Bolton などR&D経営陣は「合成ゴム」と「合成繊維」を

研究開発する意欲をずっと持ち続けていた。Du Pont 社にとって、この意欲には必然性が

あった。ゴム薬品事業を通じて天然ゴムの加工技術と評価技術を持っていたし、レーヨン

事業を経営していたからである。

 

ネオプレンの「R」物語

1925年、Bolton はACS年会でノートルダム大学 J. Nieuwland 教授の塩化第一銅

触媒によるアセチレンの重合の研究発表を聴いた。長年合成ゴム研究を狙っていたBolton

はこの研究が合成ゴムにつながるかも知れないと予感して、Nieuwland 教授に共同研究を

申入れた。

 

当時、合成ゴムをイソプレンから合成するのは実現性が乏しく、出発原料はブタジエン

が適当と多くの研究者らは考えていた。

 

Bolton はアセチレン3量体である DVA ( Divinylacetylene )から合成ゴムを得る研究

を試みさせたが失敗となった。ゴム状のポリマーではなく、透明で硬い樹脂状ポリマーが

得られたのであった。Du Pont はペイント事業を経営していたことから、DVA を合成乾性

油の原料とする研究にシフトした。Fundamental Research チームが乾性油の品質向上を

担当することになった。1931年に、DVA 蒸留精製中に分離した不純物がネバネバ状に

重合しているのを偶然発見した。後に Carothers から命名されたクロロプレンモノマー

であった。彼はその化学構造を2−クロロ 1,3 - ブタジエンと決定し、後のネオプレン

の発明へとつながった。なお、当時はガスクロもNMRも存在しない時代だから、構造決

定は精密蒸留とIRスペクトルのみに依ったのであろう。

 

Carothers は Bolton への報告書にクロロプレンとイソプレンとの化学構造の類似性を

指摘していないが、Bolton はその報告書の上に類似性をメモ加筆して Stine へ提出した

と記録されている。

 

クロロプレンモノマーは Nieuwland 触媒によるアセチレン重合の副生物として発見され

たことの考察から、ラボ的には monovinylacetylene(MVA)に塩化水素を付加することで

容易に合成出来ると予想された。そしてこの付加反応にも Nieuwland 触媒がよく効いた。

 

ネオプレンの「D」物語

 ラボ的には研究容易であったネオプレンだが、工業化研究は難航した。製造工程は4段階

から成る。アセチレンを2量化する「MVA工程」、それに塩化水素を付加する「モノマー

工程」、重合する「ポリマー工程」、析出、乾燥する「仕上げ工程」である。全ての工程が

工学的には極めて困難な問題を抱えていて、Du Pont 社といえどもこれ等に対応出来る要素

技術は社内に無かった。またそれ等は米国内では社外にも無かったので、新たに創出せざる

を得なかった。ポリマー工程のキーテクノロジー、乳化重合技術はドイツの I.G.Farben

らライセンスを購入している。

 

 今一つの困難は市場開発であった。後述のナイロンの場合はフィラメントにして「織や」

に渡せば従来からの技術でストッキングやパラシュートに加工出来たのに対して、ネオプレ

ンの場合にはポリマーをシート状やチップ状で出荷しても、ゴム加工業者は従来の天然ゴム

の配合技術ではこれを全く配合、加工成型出来なかったからである。Du Pont 社でゼロから

加工技術を開発し、ひとつひとつユーザーに教えることが必須であった。

 

 ネオプレンは開発初期から製造コストが天然ゴムの数倍から十数倍も高く、天然ゴムの代

替用途には適さなかった。そのために配合技術、加工法、用途の開発において天然ゴムに近

似させるのではなく、耐油性、耐候性、耐老化性などを活かせる用途、天然ゴムでは性能不

十分とされる用途に特化した。これが後に Du Pont に大いに幸いした。第2次世界大戦で

戦車の部品や電線被覆用として需要が急速に高まり、会社はこの事業で莫大な利益を挙げ続

けたのである。

 

 ネオプレンは重要な戦略物資となった。第2次世界大戦中に Du Pont 社の製造技術が旧

ソ連へ供与されて、アルメニアにコピー工場が建設、操業された。さらに、中ソ蜜月時代に

それが中国へも技術移転され今日でも大同、重慶など3か所でコピー工場が稼動している。

 

 

ナイロン「R&D」物語は次回。

 

(以下次回)