2004.10.21

オーストリア紀行

武山高之

 

820日から26日まで、オーストリアのザルツブルブとウィーンに行ってきました。ザルツブルグ音楽祭が主目的でした。

 

ザルツブルグ(1)

 

 ひょんなことで音楽祭の良いキップが手に入り、家内の兄弟姉妹とその連れ合いなど一同7名で、ザルツブルグとウィーンに行くことになった。

フランクフルトでオーストリア航空に乗り換え、夜遅くザルツブルグ空港に着いた。我が故郷の高知竜馬空港よりも小さな地方空港である。タクシーでザルツブルグ新市街にある古いホテル・アストロテルに向う。

 

タクシーのドライバーはあまり英語が得意でない。しばらく走ると、暗闇の中に旧市街らしき所にくる。ドイツ語で、「アルトシュタット(旧市街)か?」と聞く。「そうだ」といって、もう少し走ると、「ノイシュタット(新市街)だ」という。大学で習ったドイツ語は忘れてしまったが、この程度は分る。間もなく、ホテルに着く。少しドイツ語を練習しようと思って、「ダンケシェーン! ○○ユーロ」とドイツ語で言って、チップを含めて渡す。私はヨーロッパの国に行く時は、挨拶程度はその国の言葉ですることにしている。ちなみに、帰りに乗ったタクシーのドライバーはアフリカ系であったが、英語が得意であった。英国の元植民地の出身だと言った。

 

観光バスでまわり土地勘を得ておいて、音楽会の合間に街を見てまわる。街の真ん中を流れるドナウ河の支流・ザルツァッハ川畔からザルツブルグのシンボル・ホーエンザルツブルグ城をスケッチした。スケッチをすると、巧拙は別にして風景のイメージが頭に焼き付けられる。古い中世の趣を残した街の上に聳える城郭は存在感があり、絵にすると異常に大きくなってしまう。

 

城の白い壁と下の市街地にある大聖堂や聖ペーター寺院の青いドームのコントラストもよい。ここは第二次世界大戦でアメリカ軍の空襲を受けたというが、全市灰燼に帰するということはなかったのであろう。やはり堅牢な石造り建築である。

 

スケッチをしていると、いろんな人が話しかけてくる。ジョギング中の初老の男性は、

「英語が話せますか?」

と話しかけてきた。「ドイツ語が話せるか?」とは聞かない。

「どこから来たか?」、「ザルツブルグは気に入ったか?」、「音楽祭に行くのか?」などと聞いてくる。こちらからは、「ザルツブルグに永年住んでいるのか?」、「音楽祭は毎年行くのか?」、「ところで、ここの庶民は何処に住んでいるのか?」、「アパートか一軒家か?」、「日本に来たことがあるか?」などなど。

 分ったことは、彼はアパートに住んでいて、アパートの持ち主でもあることである。庶民はアパート暮らしが多いようだ。

 

日本人の若者の集団が来た。大阪の専門学校生だという。女子学生が覗き込んできて、「何時間くらい描いているのですか?」と聞く。

15分くらい]と答えると、

「わーっ! 早い」と言って、上手いとは言わない。入場料の高い音楽祭には行かないようだ。

脇を通る人とそんな無駄話をしていて、スケッチが進まず、未完成に終った。デジカメで写真を撮ってきて、あとで完成した。