8月の下旬に家内の兄弟姉妹とその連れ合い7人で、ザルツブルグ音楽祭に行ってきました。ウィーンにも寄りました。良い機会なので、ウィーン大学で科学の先人たちに会ってきました。(2004.9.16

 

ウィーン大学で統計力学と量子力学の創始者に会う

武山高之

 

 ウィーンは音楽の都であり、芸術の都としても知られている。一方、我々科学を志した者には学問の都でもある。とくに、19世紀後半から20世紀前半には、物理学・経済学・心理学で優れた学者を輩出している。

 

 物理学では、ドプラー効果で知られるドプラー、科学思想のマッハ主義と音速単位に名を残すマッハ、統計力学創始者の一人であるボルツマン、量子力学創始者の一人シュレージンガーがいる。心理学では、フロイトとユンクがいる。経済学ではシュンペーターとハイエクがいる。いずれも時代を画するような大きな業績を残した人たちである。

 

 とくに、大学で高分子の物理化学を専攻した私にとっては、統計力学のボルツマンと量子力学のシュレージンガーの足跡を訪れたいと思っていた。

 なかでも、中央墓地にある

 

S=k・Log

 

というエントロピーの基礎方程式が書かれたボルツマンの墓碑はぜひ訪ねてみたい。しかし今回は、郊外にある中央墓地まで行く時間がない。そこで、ウィーン大学に有名な学者たちのレリーフや胸像があると聞いたので訪問することにした。

 

 ホーフブルグ宮殿から環状道路・リングを時計回りに5分ほど行くと120年ほど前に建ったネオ・ゴシック様式の塔がある立派な市庁舎が見えてくる。サフィニアの吊り鉢が美しい大きな野外のカフェテラスの前を過ぎると、その隣が600年以上の歴史を誇るウィーン大学である。重厚な建物に囲まれたキャンパスである。正門であり、正面玄関のアーチを潜ると、木々が茂る小さな中庭があった。そこには、100人あまりの学者のレリーフや胸像が並んでいた。19世紀後半から20世紀前半の物が多い。19世紀の物は大きく、20世紀になると小さくなる。はじめのうちはスペースが十分にあったが、次第にスペースが無くなって来たことが窺える。

 

 入って右手に探していたシュレージンガーとボルツマンの像があった。ドップラーの像もあった。

偉大なるシュレージンガーの像もスペースが十分ではなく小さい。シュレージンガーの像には、Erwin Schroedinger (1883~1961)とあり、量子力学の基礎となる

 

シュレージンガーの波動方程式

 

が刻まれていた。シュレージンガーは量子力学の創始者であるばかりでなく、第二次世界大戦時にナチスに追われて、アイルランドのダブリンにいた頃に行なった、『生命とは何か』という講演が、ワトソン‐クリックのDNA二重らせん構造の発見のきっかけになったことでも知られている。この点でも、メディカル事業を担当してきた私には忘れられない存在である。彼の肖像は髯のない穏やかな表情で、思慮深そうであった。

 

ボルツマンに像には、Ludwig Boltzmann18441905)とあり、髯を蓄えた顔は権威を象徴していると同時に、何か憂いを表しているように見えた。1905年は彼が論敵の攻撃に悩み、自殺したとしである。ここには、エントロピーの式はなかった。

 

ドプラーの像には、Christian Doppler(1803~1853)とあり、髯を蓄えた威厳のあるものであった。

 偉大な先輩たちの像の横にあるベンチでは数人の学生が本を読んだり、考え事をしたりしていた。

 

なお、ドップラーの生誕地はザルツブルグである。そこのミラベル宮殿の近くの街角には、ドプラーのパネルがあった。ザルツブルグの有名がチョコレート屋には、モーツアルトとともに、彼の顔が描かれて包み紙に飾られたチョコレートがあった。

 

人口800万人のオーストリアには、5つの大学しか無いそうであるが、このような学問業績は、やはりハプスブルグの威光のようである。

7人の旅であったが、こんなことに関心を持つ人はほかにはおらず、一人で楽しんだひと時であった。