アイソマーズの皆様、穏やかな2004年の年明けでしたが、いかがお過ごしです
か。
 
 小生は、年末から正月にかけて、学生時代に読んだあの懐かしい「化学史談」(山
岡望著)8巻をある大学の先生から拝借して再読し、現在も続いています。人物化学
史の面白さに改めてハマってしまいました。当の山岡先生ほどの心酔陶酔の境地に
はまだまだ達してはいませんが。
 年末の関東地区忘年会の席上、「ドイツ 化学史の旅」に備えて上記の山岡先生の
本やその他の参考文献をベースにそのエッセンスをまとめるようにと仰せつかりまし
たので、順次ご紹介し、皆様のご参考に供したいと思います。
 
(1)19世紀に活躍したドイツの偉大な化学者4人
 19世紀に活躍したドイツのもっとも偉大な化学者を挙げるとすれば、次の4人に
帰着することに大方の異論はないであろう。これ以上の絞り込みはできない。   
 出生順に:
  ヴェーラー(1800-1882)  無機物から有機物(尿素など)の合成
              活躍の場は主としてゲッチンゲン大学
  リービッヒ(1803-1873)  分析化学、有機から農業化学にわたる啓蒙者
              ギーセン大学、のちにミュンヘン大学
  ブンゼン(1811-1899) ガス分析、分光学の確立と新元素の発見
             マーブルグ大学、のちにハイデルベルグ大学
  ケクレ(1829-1896) ベンゼンの構造を解明
            ハイデルベルグ大学、ベルギーを経てボン大学
 
 この4人の偉大な化学者は、目に見えない運命の糸で結ばれているかのように、お
互い因縁深い関係にあるのが面白い。
 
 ヴェーラーとリービッヒは、それぞれ異なる化合物を研究していたが、分子式が同
じであることを発見(つまりアイソマーの発見)した。最初はお互い敵視していたが、
これがきっかけとなって半世紀にも及ぶ厚い友情の端緒となったことは有名な話。
 
 上の二人より一世代若いブンゼンは、大学卒業後の遍歴の旅でギーセンにリービッ
ヒを訪ねるが、偶然そこに滞在していたヴェーラーにも会う。間もなくヴェーラーの
推薦でカッセル工業専門学校の教授に抜擢されて化学教師としてのスタートを切るこ
とになる。また、のちにハイデルベルグ大学から招聘されたとき、実はリービッヒも
候補に上がっていたが、彼がミュンヘン大学を選んだので、ブンゼンがハイデルベル
グ大学に落ち着いたという経緯がある。
 
 さらにもう一世代若いケクレは、ギ-セン大学の建築科に入学するが、そこでリー
ビッヒの講義を聴いて化学の虜になり、悩んだ挙げ句、自らの進路を建築から化学に
転換してしまう。のちにハイデルベルグでブンゼンの弟子になるが、意外と二人の相
性は合わず、ケクレはベルギーへ去る。後半生はボン大学。
 
 ところで、なぜ19世紀におけるドイツの化学がそんなに注目されるのか?
 19世紀はじめ頃のドイツの化学界はまことにみじめで、化学という学問は未だ認
知されておらず、英仏やスウェーデンの化学界が新しい研究の領域を広げつつあるな
か、独りドイツだけは沈滞したままであった。
 従って、ヴェーラーはスウェーデンのベルセリウスのもとへ、またリービッヒは仏
のゲイリュサックのもとへ留学した。
 
 ところが、ドイツに帰国してからのこの二人の活躍が凄かった。とくにリービッヒ
は、21 歳の若さでギーセン大学の教授に就任するや、化学教室の大改革を行った。
学生用の実験室を作り、学生各自が自ら実験を行いつつ化学を学ぶという当時では考
えられなかった道を開き、厳しさと愛情をもって学生に接した。かくてギーセン大学
の化学教室は国内のみならず国外にまでもその評判が轟き、有望な学徒が世界各地か
ら雲霞のごとく集まり、優秀な弟子が陸続と輩出した。
 
 このように、19世紀中頃からのドイツ化学界の目覚ましい興隆は、偏にリービッ
ヒ/ヴェーラーに負うところ甚大と言わざるを得ない。
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 伊 藤 一 男
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