(10)ああ無情! ああ無常なり、記念像
 
 1899年、ブンゼンは88年の人生の幕を閉じた。彼の墓碑は、ハイデルベルグ南郊の
山麓の墓地にある。緑の樹がうっそうと茂り、高台あり、谷あり、公園のように美し
い。墓碑に刻まれた横向きの温容慈顔、実によい顔である。
 
 ブンゼンの記念像の建設も、当時の主任教授クルチウスが中心となって進めてい
た。銅像の制作は、カールスルーエアカデミーのヴォルツ教授であり、大きさから
いっても堂々たるものであり、ひと際異彩を放っていた。 銅像のブンゼンの顔は、
墓碑に刻まれた横向きの温容慈顔に比べると魁偉というか、仁王のように厳しい。墓
碑のは晩年の好々爺のブンゼン像であるが、銅像のはまさに活動たけなわの最中、す
なわち分光分析に熱中しているときの姿を表わしているとのことである。闘魂あふれ
た逞しい英姿である。
 
 この巨像を支えているのは清楚なる台石であり、BUNSENとただ6文字が
大きく深く彫られている。簡単にあっさりとその姓だけを力強く現わしているところ
は、ブンゼンの飾り気のない正直な性格と見事に調和して、これが実にブンゼンらし
い。また石段6~7段の高さ、広く取った床石の両端には、被服に被われた未知なる
自然を表わす神像が向って左に、今まさに目覚めつつある科学を象徴する神
像が右に彫られている。
 
 古今著名な化学者たちの記念像を一つひとつ比べてみても、ブンゼンのこの銅像ほ
ど雄大かつ立派なものが他に見られるであろうか?しかし、こういう高い台座の上に
立って威張った顔をするのは、ブンゼンのもっとも好まざるところ、照れ屋でシャイ
な本人はむしろ礎石のうしろに隠れてしまいたい、と言うであろう。
 
 除幕式は1908年の夏。この夜は城山に花火を仕掛けて城を照らしたりして大層な賑
わいであったという。
 
 この立派な記念像は、化学教室からそれほど遠くない緑地帯の中央、城山の麓の森
の前にある、いや、あったのである。ところが、山岡先生が1969年(昭和44年)に訪
問されたときには、記念像はそこにはなかった。以下、先生の手記の概要である。
 
 ブンゼンは台座の上から下りてしまったのである。高いところに立って威張ってい
るのはイヤだろうと以前に書いたが、おっしゃる通りです、といわんばかりに、低い
樹影に移ってしまった。同じハイデルベルグの本町通りに面した解剖科学研究所の前
庭に移った。
 以前の颯爽とした豪快な趣きはなくなって、台石も低くなり、BUNSENの6字
も土中に埋もれんばかりである。(中略)
 未知なる自然と目覚めつつある自然を表わす像を左右に持つ立派な床石の
台は、銅像が撤去されたあとも元のままにになっており、道路工事の資材置き場になっ
ていた。これほど殺風景なみじめな眺めが他に何処にあるのでしょうか。無惨という
も哀れである。(中略)
 もし近い将来、この学都を訪問する人があったら、その後どうなっているのか、見
届けてもらいたいものである。
 
(武山さんが、ブンゼン像と一緒に写真をとられたのは移設後のものでしょうね。)
 
これで「ブンゼン」はおわり。次回は「専門の建築学を捨てたケクレ」
==================
 伊 藤 一 男
 TEL:04-7183-4201
 E-mail:itokazu@kk.iij4u.or.jp
==================