(12)怪事件と蛇の夢
 
 ケクレが34-35歳のころ、蛇が自分の尻尾をくわえてぐるぐる廻る夢を見て、ベン
ゼンの構造を思い付いたのは有名な話であるが、そもそも夢というのは、過去に自分
が経験したり見たりしたことの記憶が睡眠中に再現されることだ、ともいわれる。と
すると、彼が見た夢も、以下の怪事件が引き金になったのかも知れない。
 
 怪事件、それは1847年、ケクレがまだ18歳になる前の6月に起こった。
 隣家の伯爵夫人が居間で、上半身が黒焦げの死体となって発見されたのであった。
当時、似たような事件がほかにもあり、特殊な条件が重なれば人間も自然燃焼するの
ではないか、といった迷信が広まっていた。現場に検屍にきた医師も、この事件は自
然燃焼の結果であると認めてしまった。
 
 ここで、またまたリービッヒ先生のお出ましである。彼は、このような迷信が科学
的根拠に乏しいことを遺憾とし、強力に否定し続けていた。同時に鑑定人として臨席
し、人体の自然燃焼説を非科学的なもので、信じるに値しないと主張した。
 
 結局、この事件は、その後の捜査で召使いの犯行であることが判明した。隣家に住
むケクレも証人の一人として法廷に出席した。断罪の決め手になったのは、召使いが
盗んだ伯爵夫人の指輪であった。その指輪は、金と白金の2匹の蛇がそれぞれ自分の
尻尾をくわえて、絡み合っているデザインであった。
 
 ついでにこぼれ話:
 法廷におけるケクレの陳述ぶりが実に正確、論旨も明白で、優秀な天分を偲ばせる
ものであったらしい。裁判官や傍聴人も感服した。鑑定人として臨席していたリービッ
ヒも、自分の研究室に入って来た新入生(ケクレは丁度そのころリービッヒ研究室に
入った)の人並みはずれた能力に強烈な印象を受けた。
 
次回は「ベンゼン祭」
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 伊 藤 一 男
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