(13)ベンゼン祭
 
 ケクレによるベンゼン構造論の発表から25年目にあたる1890311日の夜、ベル
リン市会議事堂においてベンゼン祭と称する祝賀会が開かれた。世界各国から著名な
化学者をはじめ、官学界からも錚々たる顔ぶれが集まった。(しかし、ヴェーラーと
リービッヒはすでにこの世になく、ブンゼンもハイデルベルグ大学を退官していた)
 
 午後5時に、ドイツ化学会会長のホフマン(ベルリン大学教授)が開会の辞を述べ
た。彼は本祝賀会の意義を説明、併せてベンゼンの歴史を語った。ファラデーがこれ
を発見し、ケクレがその構造を明らかにするまでの物語を、一般人にも分かりやすく
説明するホフマンの手際はさすがであった。(リービッヒの一番弟子であった彼もい
まや72歳の長老格。この年は、夏にギーセンでリービッヒ記念像の除幕式、ついで 
ゲッチンゲンで同じくヴェーラーの記念像除幕式を仕切り、大忙しであった)
 
 ついで、ケクレのハイデルベルグ時代の門下生のアドルフバイヤー(ミュンヘン
大学教授、リービッヒの後任)が祝賀記念講演を行った。いろんな学者のベンゼン構
造論の解説とその批判であった。一般人にも判らしめようと非常な苦心を払ったが、
内容はかなり専門的であった。
 
 ここで、来賓の祝辞、祝電披露、記念品贈答などの儀式があり、最後にケクレが答
辞を述べたが、およそ化学史上、この演説ほど人々に感銘を与えたものはなかった、
といわれている。
 
 ベンゼン構造論の業績は、一人のものではあり得ないこと。先達の学説の胚芽が精
霊となって空間に浮遊していること。この霊感を捕らえるためには、自己の知識をい
かに磨くべきか、啓示をいかに省察すべきか。夢を養い、天才を疑うこと。時には史
話、時には漫談。演説は暗示と比喩に富み、全精神に迫ってくるものであった。
 
 もちろん、蛇の夢を見てベンゼン構造論を思いついたことも面白おかしく語ったが、
化学への志を抱く青年に対しても、いささか教訓めいた話をして締めくくった。曰く、
「君が化学者になりたいと欲するなら、健康を損なうくらいの覚悟が必要だ。身体を
心配しながらやるような勉強では、今の世に化学の方面で、何ごともやれるものでは
ない」と。これこそ、昔、彼がギーセン大学の門を叩いたときに授かったリービッヒ
精神であった。
 
 かくして第1回のベンゼン祭は盛会裏に終わったが、皮肉なことに、若い頃からケ
クレは余りにもリービッヒの教えを忠実に守って勉学に励み過ぎたのが祟ったのか、
この頃すでに病弱の身であり、間もなく66歳の生涯を閉じた(1896年没)。まだボン
大学の現職教授であった。彼の記念像は、ボン大学化学教室の前庭にある。
 
 ケクレもヴェーラーやリービッヒ、ブンゼンに優るとも劣らぬほど優れた人材を育
成した。著名な門弟は、上記アドルフバイヤーをはじめファントホッフやエミル
フィッシャー等である。いずれも、1901年から始まったノ-ベル賞の受賞者である。
 
こぼれ話
 1871年、ドイツはプロイセン王国を軸に統一を成し遂げたが、時のドイツ皇帝ウィ
ルヘルム二世(1859-1941)はベンゼン祭には残念ながら臨席できなかった。1879年、
20歳のとき、ボン大学でケクレの実験化学の講義を聴いたことがある関係で、何とし
ても出席したかったが、丁度このころ、宰相ビスマルクとの確執があり(のちビスマ
ルクを罷免)、その上、ドイツは外交的にも孤立し、それどころではなかった。しか
しケクレは、ウィルヘルム二世からvon Stradonitzなる貴族の称号を授かった。
 
 ところで、それから100年後の1990年、ベンゼン祭百年記念行事があった由。
原田馨:化学史研究、17(1990)144、に報告があるらしい。
 
 これにて、ヴェーラー/リービッヒ/ブンゼン/ケクレの「4人物語」の抄録集は
終わりです。お付き合いありがとうございました。
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 伊 藤 一 男
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