(3)ヴェーラーとリービッヒの厚き友情
 
 ヴェーラーとリービッヒの親しい交友関係は、その昔からの語り草である。
 
 両人が研究していた別々の化合物が、偶然同じ分子式を持つことを発見したのをきっ
かけに、最初はお互いライバル視していた間柄がやがて切磋琢磨する仲に変わり、つ
いには友情溢れる固い絆によって結ばれる。居場所は離れていても、いろんなテーマ
について共同研究を行い、多くの論文を共著としたのである。
 
 彼等の友情を物語る何よりも確かな資料は、両人の死後も保存されていた膨大な数
の書簡である。1829年(W29歳、L26歳)からそれが始まり、1873年、リービッヒ
の死の直前まで続き、両人が交わした書簡は実に1500通に達したといわれている。
 
 彼等の往復書簡の内容は、やはりお互いの化学研究についてのやりとりが重きをな
していたが、時には国や社会を論じ、旅したことを知らせ、そして家族や人生も語り
合った。まるで恋人同士のような相思相愛ぶりを物語っている微笑ましいものもある。
リービッヒからヴェーラに宛てた便りのなかで、
 
「われわれ二人の頭の構造は相似形である。君がカッセルでくしゃみをすれば、その
時僕はギーセンで"Gesundheit"と言っている。君がパイプに火をつけようとすると、
その同じ時に僕もタバコを口にしている」、と。
 
 リービッヒ無くしてヴェーラーを、またヴェーラー無くしてリービッヒを語ること
はできない、と言われる所以である。
 
 数ある書簡のなかで、ことのほかこまやかな友情に胸を打たれるものがある。
 
 1832年の初夏、ヴェーラー(32歳)の若き妻(20歳)が初産で不幸にも急逝すると
いう思わぬ事故に見舞われたとき、傷心のヴェーラーを慰めるためにリービッヒ(29
歳)の便り:
「ギーセンの僕の所に来たまえ。悲しみを共有して、一緒に仕事をやろうではないか。
旅に出かけてもだめだ。仕事をするに限る。もちろん、君の悲しみは実験によって紛
らわされるようなものでないことは僕にもわかる。しかし?愛する友よ!いたずらに
哀愁のとりこになっているよりは、はるかにましだ。」と、ヴェーラーをギーセン大
学の自分の実験室に招く。
 
かくして二人は、気を紛らわせるため猛烈に研究に励み、同じ実験室で1ヵ月半も過
ごしたことがあった。
 
 ついでながら、ゲッチンゲン大学を卒業したてのブンゼンが、ギーセンにリービッ
ヒを訪ねたとき、偶然ヴェーラーにも巡り合えたことを前に紹介したが、その時こ
1832年のこの時期であった。
 
 ところで、ヴェーラーとリービッヒのかくも素晴らしい親密なる友情が、なぜ50
近くも長きにわたって続いたのか、考えてみると驚異である。化学界大御所のあのベ
ルセリウス大先生と大喧嘩したほどのリービッヒが、なぜヴェーラーとの交友を持続
させることができたのか?
 
 それは、両人の性格が似たもの同士ではなく、まるっきり違っていたのが幸いした
のではなかろうか。性格の違いが、火花を散らすことなく、却ってお互いの至らぬ点
を補い合ったのかも知れない。
 
 リービッヒの方は感情の起伏が大きく、怒るに早く、しばしば激昂して辛らつなる
言葉を投げては怒りをまき散らす。一旦確信したことは頑として譲らず。しかし、自
己の誤りを悟ったときは快くこれを改め、率直に深謝したという。
 
 一方、ヴェーラーといえば、冷静にして沈着。悪意の挑戦に直面しても平然として
動じず、さながら仏のような存在。口論とか闘争とかには全く無縁の人であったらし
い。
 
 いずれにしても、二人の管鮑の交わりは終生絶えることはなかった。まことに羨ま
しいほどの厚き友情である。
 
 次回は「ギーセン大学の化学教室」
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 伊 藤 一 男
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