(4)ギ-セン大学の化学教室
 
 ソルボンヌ大学のゲイリュサックの下で修行し、ドイツに帰国したリービッヒは、
フンボルトの推薦もあって、ギーセン大学の員外教授の職を与えられた。1824年、彼
がまだ弱冠21歳のときであった。その頃はまだ正式の化学教室はなく、教授も医学部
から派遣されて細々と化学の講義を行っていたに過ぎなかった。実験室ももちろん無
かった。
 
 彼は、旧兵舎の一室を改修して、辛うじて実験室を確保し、9人分の実験台を設け
た。化学を学ぶには、仮説のなかに潜む真実を見い出すために、とにかく実験するこ
とが何より大切である、とリービッヒは考えた。つまり、反応を自らの目で観察し、
得られた生成物を自分で分析し、そして結果を考察する、というサイクルを繰返すこ
とである、と。
 
 かくて、彼は学生各自にテーマを与え、実験を通じて化学を学ばせるという全く新
しい教育方式を考え出した。
 
 こういった教育改革が評判を呼び、化学を志す優秀な学徒が押し寄せるようになっ
た。ヨーロッパ各地はもとより、遠くアメリカからもギーセンへギーセンへと靡いた。
恩師であるゲイリュサックさえも、自分の息子の教育をリービッヒに委ねたほどで
ある。
人よんでギーセンを化学のメッカという。まさに名言である。
 
 最盛期のリービッヒ実験室は、さながら戦場のようであったという。狭い実験室は
学生でごった返していた。リービッヒは実験中の学生の間を徘徊しながら、アドバイ
スし、予期しなかった新しい現象が見つかると、学生そっちのけで興奮した。彼の指
導は妥協を許さず厳しいものであったが、学生には愛と情熱をもって全身全霊を傾け
た。
 
 朝早くから夕方まで、片時もひまな時間はなかった。しかし、サボって楽をしたい
と願う者は一人もいなかった。昼食は近くの食堂で簡単に済ませ、夕食は全員打ち揃っ
て近くのレストランで一杯飲みながら賑やかに議論した。ギ-セン大学のなかで、と
にかく化学教室だけは特異な存在であった。一風変わった実験着の学生諸君がひしめ
き合い、いつも火事場のような慌ただしさで、夕方遅くまで明かりが消えることはな
かった。
 
 リービッヒは、28年間この地で教鞭をとるが、この間、直接指導した学生は730 
を越え、うち外国からの留学生は、14ケ国、200人に達した。
 
 1852年、49歳のとき、リービッヒはギーセンからミュンヘンに移った(後述)。
 
 その後、1888年に大学の新館が完成したので、化学教室も挙げてそちらに移転した
が、1900年頃に偉大なリービッヒの功績を記念して、当時の化学教室、実験室などを
原形保存してリービッヒ博物館とした。柱列の上部に「DEM ANDENKEN LIEBIGS」と大
書せられ、訪ねる人々を出迎えている。
 
 ところで、最近のギーセン大学はどうなっているのか?
 驚いたことに、ギ-セン大学は現在、その名前を「ユストゥスリービッヒ大学」
と改名しているのである。しかもそれは1960年、彼が亡くなって百年近くも経ってか
らのことであった。しかも化学の単科大学でもなく、法律や文学、医学、経済学科な
どもあり、学生数2万人を擁するれっきとした総合大学であるというのに、だ。確か
に、ギ-セン大学はリービッヒでもつといわれ、大学の小高い敷地は「リービッ
ヒ高台」、化学教室の前の通りは「リービッヒ通り」と名付け、遂には大学名にまで
彼の名前を冠するとは!!。われわれの想像を越えて、ドイツでは英雄視されている
に違いない。
 
 リービッヒ大学のHPは、http://www.uni-giesen.de/ 
 
次回は「リービッヒ、ミュンヘン大学へ去る」
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 伊 藤 一 男
 TEL:04-7183-4201
 E-mail:itokazu@kk.iij4u.or.jp
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