(6)リービッヒを追慕する式典
 バイエルンの首都、ミュンヘンに終の住み処を構え、70年弱の生涯をそこで終えた
リービッヒであったが、この偉大な化学者はやはりギーセンの人と看做す方が似つか
わしいようだ。従って、話題をもう一度ギーセンに戻そう。
 
 1890年の夏、728日、リービッヒの死後13年、彼がギーセン大学に化学教室を設
立して66年目に、思い出の町ギーセンの東緑地帯の一隅に、リービッヒの記念像が
出来上がり、その除幕式が行われた。
 
 建設委員長は愛弟子のひとり、ホフマンであった。ギーセンに生まれ、ギーセン大
学で法律哲学を学ぶつもりが、その彼もリービッヒの講義を聴いて進路を化学に転
向した一人であり、さらに終生をリービッヒの使徒として奉仕してきたホフマンも、
いまやベルリン大学の72歳の老教授であり、ドイツ化学会の会長でもあった。
 
 当日は、ギ-セン大学病院の新築落成式もあり、ギーセンは町を挙げての賑わいで
あった。ダルムシュタットから出て来たヘッセンの国王が大学病院の落成式にも、次
いでリービッヒ記念像の除幕式にも列席されたからだ。
 
 式典は、プログラム通り、正午に国王の一行が到着され、ベートーベンの合唱
は永遠のみさかえを讃めたたうの歌声が森の陰から流れてくる。合唱が終わると同
時に幕が払われ、リービッヒの大理石像が高々と夏の日に輝くばかりに神々しく仰が
れた。数百人の列席者はこの見事な記念像の芸術性にため息をもらし、記念像の人物
に対する追慕の念を新たにした。
 
 次いで、ホフマンが演壇に上がって祝賀演説を始めた。大理石の像の出来栄えを讃
え、リービッヒの波瀾に富んだ生涯と業績、特にここギーセン大学での28年間の教育
者としての功績を熱く語り、終わりにリービッヒの崇高な人間愛を偲んで式辞を終え
た。
ホフマンはよほど切り詰めて語ったつもりであろうが、それでも一時間もかかった。
夏の真昼の太陽はドイツでも暑いはずだ。ホフマンはあらかじめ、帽子を被ったまま
話をする無礼を国王に断っていた位である。
 
 以上は、ギーセンにあるリービッヒ記念像について纏めたものであるが、実は、彼
の記念像はドイツに3ケ所(生まれ故郷のダルムシュタット、ギーセンそしてミュン
ヘン)もある(いや、あった)が、悲しいかな、もっとも芸術的価値の高いといわれ
た上記ギーセンのものが、1944年の連合国軍による爆撃で破壊され、今は頭部しか残っ
ていないという。誠に惜しいではないか!
 
 ついでにもう一つ。
リービッヒ記念像の除幕式が行われた1890年は、ドイツ化学会会長のホフマンにとっ
ては大忙しの年であった。わずか3日後の731日、今度はゲッチンゲンでヴェーラー
の記念像の除幕式が行われたのである。当日は、ちょうどヴェーラーの生誕90周年の
日であった。さらに、その年の311日の夜には、ケクレがベンゼンに六角形の構造
を与える学説が生まれてから25年目を記念して、ベルリンにおいて「ベンゼン祭」が
催されたのであった。(これについては、後日、別の章で紹介する予定)
 
 ついでに小休止
 伊藤ツヴァイテさんのお兄さんから素晴らしい情報の提供がありました。お兄さん
は「切手でつづる化学物語」でも知られ、旧制六高、山岡先生の最後のお弟子さんと
のこと。山岡先生から「化学史窓ーヨーロッパ旅行アルバム」の本を寄贈されたもの
を、ツヴァイテさん経由で小生がいま拝借中です。山岡先生が戦前、戦後の2回、欧
州旅行されたときの旅行記で、リービッヒ(ギーセン、ミュンヘン)、ヴェーラー
(カッセル、ゲッチンゲン)、ブンゼン(ハイデルベルグ)などなど、写真も豊富で
す。ドイツ化学史の旅にはぴったしです。いま、ワクワクしながら読んでいます。
 
 ところで、リービッヒ/ヴェーラーについては、書きはじめるとキリがありません
ので、この辺でご退場願い、次の主役、ブンゼンに登場してもらいます。     
       
次回は「ブンゼン、ハイデルベルグに着任」
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 伊 藤 一 男
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 E-mail:itokazu@kk.iij4u.or.jp
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