(9)ブンゼンを巡るエピソード
 
 78歳でハイデルベルグ大学を勇退したブンゼンは、この地でさらに10年の余生を送っ
たのち、88歳の天寿を全うした。生涯、独身を通した。
 ブンゼンほど温かく親しみ深い思い出を万人の胸のなかに残していった人はいない
が、ユーモラスでいささか風変わりな生活振りでもあったことから、彼を巡るエピソー
ドには事欠かなかった、というのが語り草である。
 
*一生独身を押し通したわけ
 化学実験が忙し過ぎて結婚するひまがなかった、というのが通説であるが、若い頃、
女友達に結婚を申し込み、首尾よく承諾を得たことがあった、という説もある。しか
し、仕事に夢中になる余り、結婚を申し込んだことも、許嫁のこともすっかり忘れて
いた、というのである。真偽のほどは保証しないが。
(驚くなかれ!上記のエピソードが、わが国の「中等国語読本」(明治36年、1903年)
のなかにブンゼンの逸事という題で出ているのである。しかも国語読本に。)
 
*実験中に爆発、重傷を負う
 この時代の化学者は、自らの身の危険を顧みず、実験に果敢に挑戦した。ブンゼン
も例外ではなかった。彼は若い頃、有機ヒ素化合物の実験中に爆発、右眼を失明する
という事故を経験済みであるが、ハイデルベルグ時代(1869年)でも白金族元素の研
究中に不可解な爆発事故を起こした。しばらく幽明の境を去来するほどの大事故であ
り、案じた学生や一般市民も化学教室前の広場に集まり、祈願を込めた。診断の結果、
命は大丈夫と聞いて、集まった群集は歓呼の声を挙げたという。
 
*大切な論文原稿が灰燼に帰す
 希土類金属の研究についての論文原稿を、窓際のテーブルの上に置いたまま外出し、
部屋に帰ってみると、何と一枚残らず灰になっていた。窓の近くに置いてあった水入
れ用のフラスコがレンズの働きをして太陽光線を集め、焦がしたものと考えられた。
この事件は新聞にも載った。はじめはブンゼンもすっかり落胆していたが、その驚
くべき強靱な精神力は直ちに彼を再起させ、実験室にあって、失われたものを再びつ
くり出すべく努力していると。
 
*周期律を信じなかった
 のちに周期律で有名になるロシアのメンデレーエフは、1859年、25歳の頃、2年ば
かりハイデルベルグで修業していた。しかし、ブンゼンとの接触はほとんどなかった
ようだ。1869年に周期律を発表したが、ブンゼンは信用しなかった。数字の取り扱
いに慣れた人なら、毎日の株式相場表を眺めてでも、一定の秩序を見い出すことがで
きるだろうといって、周期律を軽くあしらっていた。
 
次回は「ああ無情! ああ無常なり、記念像」
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 伊 藤 一 男
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