2004.9.13

西 村 三千男 記

「ディンケルスビュール」

 

 去る8月26日、六本木のドイツビアホールに数名のアイソマーズ(大澤、伊藤一、藤牧、

西村)がインフォーマルに集合し、来年の「ドイツ化学史の旅」のアンケート結果を肴に侃々

諤々。大澤さんと伊藤さんがロマンティシェ街道のディンケルスビュールに是非とも、宿泊し

ようと意気投合。西村は気乗りしないような返事をしていたが、実現の可能性大である。

 

 先週9月9日付の毎日新聞夕刊「いきいきレジャー」のページに「旅に出ようよ――ディン

ケルスビュール」の記事が掲載された。記事の出典はドイツ観光局とルフトハンザ航空。両方

の公式HPで「ディンケルスビュール」を検索した。期待に反してJTBのガイドブック程度

の情報しか得られなかった。むしろ Google 検索で多彩なソースから提供されている数多くの

きれいな写真に出会えた。

 

 ここでは、昨2003年、当HPに紹介した東山魁夷著「馬車よ、ゆっくり走れ」の中で著

者が、この町について記述している一節を引用しよう。

 

著者は前後のローテンブルク、ネルトリンゲンと併せてこの三つの町に心酔し、ディンケル

スビュールにだけでも5〜6泊したようである。

 

以下は引用。

 

              (前略)

 

 この町のことを、私は、詩的に美化もせず、また、いやな現実に眼を閉じることもしないで、

ここでの体験を、ありのまま、出来るだけ、さっぱりと書いてみたいと思う。

 

 そのようにしても、この町は、ローテンブルクよりも、更に、現実離れのしたメールヘンの

町であるからだ。

 

              (中略)

 

落着いた町の家々の、ほんとうに、心が休まるような、たたずまい――この町は、空襲の被

害を少しも受けなかった。あまりにも有名なローテンブルクが近くにあるため、観光地化もさ

れていない。

 

この町こそ、ごく、あたりまえの古い町で、町の人が特別に意識して保存した様子も感じら

れない。自然に古い家々が残ったかのように見受けられる。

 

中世以来、完全に保存されたといってよい城壁と塔、教会、町の中の家々、この、私達にと

って驚かずにはいられない状態は、この町の人から見れば、驚くに当たらないことなのかもしれ

ない。彼等は、不便を忍んで古い家に住んでいるといった意識も持っていないし、それを種に、

観光客を誘致しようという気持もないようだ。何百年もの間、こうして、この町の人々は住ん

で来た。我々の年月の尺度と、この町のそれとは違うのではないかと感じられる。いや、時の

歩みそのものが、この城壁に囲まれた中と、外の世界とでは、かけ離れているのではないだろ

うか。われわれの百年が、この町では、せいぜい十年位にしかならないのではないか。もし、

私達がここに一年も暮らしていたら、城門を出た途端に、玉手箱をあけた浦島太郎のようになる

ような気持さえしてくる。

 

               (後略)

 

(おわり)