「ドイツのジェット機とロケット技術の歴史」 中村(9・14・2004)

 

1908年にライト兄弟によって初めて飛行に成功した飛行機は、急速に発達し、第一次大戦では、爆撃にはまだほど遠い性能だったけれども、偵察に使われるようになった。それから第二次世界大戦の起こるまでの約20年の年月の間にはジェット機まで発達した。その発達の最も早かったのはドイツであり、第二次世界大戦が始まったとき戦闘機の機種は双方ともプロペラきであったが、戦争のはじまる2年まえには、ドイツではジェットエンジンは出来ていて、大戦半ばにはジェット戦闘機を大量生産するまでになっていた。連合軍であるイギリスでは、ジェットエンジンの基礎的な考案は提案されていても、ドイツのジェット戦闘機が英国空軍を攻撃するまで、英国政府は関心さえ示さなかった。ジェット機に関してはは米国はさらに遅れていた。

 

日本のジェット戦闘機技術もドイツから数年おくれてはいたが、潜水艦にのせてジェットエンジンをドイツから運んだのを手本にし、手書きのスケッチをもとにして独自のジェットエンジンを作り上げ、ジェット戦闘機を作り上げ攻撃につかった(終戦近く)。戦争の始まった時には日本の空軍機(プロペラ)と海軍の軍艦の性能もアメリカをはるかにしのいでいた。米国は墜落した日本の戦闘機の残骸を自国へ持ち帰り、何台もの部品を継ぎ合わせて、飛べるように再生し、日本の航空技術を学んだ。米国はB29のごとく長距離運行できる爆撃機も大量生産したが、B29はピストンエンジンを使っていた。

 

ドイツと日本との戦いで、連合軍が勝ったのは、その量と作戦の力であった。たとえば真珠湾攻撃でショックをうけた米国は大量の航空母艦の製作を開始し、数の上でドイツ日本の海軍を圧倒する。またドイツの空中戦では戦闘機は低速であるにもかかわらずその利点を利用することにより低速の弱みをカバーした。つまりジェット機は速度が速いために急速に曲がれないが、低速の連合軍機はたくみにジェット機をかわすことが出来た。爆撃による破壊がドイツを弱らせ、日本も同じ理由で力を失う。

 

第二次世界大戦中にロケット技術をもっていたのもドイツであった。5000個V-ロケットが生産され、イギリスに打ち込まれ、5000人の死傷者をだした。V-ロケットの精度が良くなかったのは、捕虜やユダイヤ人が製造に参加させられた、みえないところでサボタージュがおこない、空中爆発などで設計どうりには作動しなかった。一方日本もロケット技術を取り入れ、敗戦近くになってからではあるが片道飛行のロケット推進飛行機が使われた。

 

ドイツの航空機生産は爆撃を避けるため、戦時中トンネルに移された。突貫工事のトンネル堀をさせられたのが、ユダイヤ人と捕虜であった。住居も与えられず、悪条件と病気のためほとんどはやせ細って死んでいった。その死骸が貨車に山積みにして運ばれている写真がのこっている。

 

終戦直後連合軍の各国はドイツの航空関係の図面、部品、製品のほとんど全てを自国にもちかえった。ロシアではドイツのジェット戦闘機はミグ戦闘機として身代わりしてさらに発達し、米国ではF戦闘機の始まりとなる。その両方が戦いあう機会が来たのが朝鮮戦争であった。そのとき、米国の戦闘機はミグに勝てなかった。米国はミグを学ぶ方法の一つとして、ミグを操縦する空軍兵士に多額の報奨金を提供し投降をよびかけた。それに一人の北朝鮮飛行士が応じ、米国はミグ機を手にいれ徹底的に学ぶことになった。

 

ドイツのロケット技術と、戦後の米国の宇宙飛行技術とは大きな関係がある。終戦とともにドイツ政府幹部は処刑をうけたが、技術者は米国移住を歓迎された。ドイツのV-ロケットの開発者はすぐに米国のロケット推進研究所の所長の地位をあたえられ、アポロ飛行開発の中心として活躍する。このような元ドイツ人ロケット技術者の貢献がなければ、米国の宇宙飛行は可能にならなかったのである。

 

ps

ドイツの航空技術がナチ政権のもとで、どうやってあのような発達を遂げたのか私にはまだよくわかっていないが、科学技術のあらゆる分野で同様の高度な発達があったのであろう。だから化学の歴史をたどってドイツに旅行することに非常に興味があるが、残念ながらアイソマーズの計画は私には日程に無理があって参加できそうにない。

 

最近技術の歴史に非常に興味を持つようになったが、もっと若いときから技術の歴史を知っていればよかったと思う。日本の戦後の技術は、私の関係した分野では、あまりにも外国依存がおおくて面白くなかった。しかし戦時中には、日本で驚くべき技術発展があったのである。戦時中に日本がどのようにして独自に技術を発達させたのかを知れば、将来の発展のための参考になることも多くあるのではないだろうか。日本の歴史家は江戸時代までの歴史は繰り返して、時代劇につくるけれども、このような近代史はほとんど手がつけられていないように思える。