2005.1.1

ハプスブルグ宮殿と啓蒙的専制君主

武山高之

シェーンブルン宮殿でバロック様式の煌びやかな美しさに見とれていた。

というよりも、この宮殿やメルクの修道院をみて、初めてバロック・ロココとはこんなものだということが実感できた。

 

この宮殿の主人で、もっとも有名な人は女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ・ヨーゼフとその皇妃エリザベートである。マリア・テレジアの末の皇女がフランス革命でギロチンにより処刑されたルイ16世の王妃マリー・アントワネットである。

 

フランツ・ヨーゼフは、第一次世界大戦のもとになったフェルデナンド皇太子がサラエボで暗殺されたときの皇帝であり、ハブスブルグの実質的に最後の皇帝であった。この宮殿が栄えたのはこのマリア・テレジアとフランツ・ヨーゼフの間である。

 

日本語の音声ガイドを聞きながら、関心を持ったことを幾つか取り上げてみたい。

まず、マリア・テレジアが子沢山であったことが、広範囲に広がる多民族帝国の運営に重要な意味があったということである。子供たちはほとんどが政略結婚の道具に使われている。ハプスブルグ帝国は武力でヨーロッパを支配したのではなく、政略結婚でその安定を保った。マリー・アントワネットの輿入れもその一つである。

 

フランツ・ヨーゼフは朝4時に起きて仕事を始め、一日百人もの人に謁見したという。今でいう猛烈社員のように、真面目で仕事熱心だったらしい。彼の生活は全て帝国のために捧げられたようである。そのため、皇妃エリザベートは皇帝と過ごす時間が少なく不幸であったとともに、窮屈であった。何か今の世に繋がるものを見る思いがする。

 

この三人ほど目立たないのが大切なのが、マリア・テレジアの子供のヨーゼフⅡ世の啓蒙書を読む肖像画である。この時期、ハブスブルグ家とロマノフ家は啓蒙的専制君主として知られていた。そのハプスブルグ家の代表的な啓蒙君主がヨーゼフⅡ世であった。ただ、この皇帝が啓蒙的であり過ぎたため、メルク修道院の規律が乱れてきたという。

 

もう一つ、ナポレオンが泊まった部屋と言うのがあった。ナポレオンはシェーンブルン宮殿に攻め入ってきたが、その時の皇帝フランツⅡ世は抵抗しなかった。ナポレオンは皇女マリー・ルイズを皇妃として差し出すことを、フランツⅡ世に要求した。ナポレオンは皇妃ジョセフィーヌを離婚してまで、ハプスブルグの皇女を手に入れたかった。それほどにハプスブルグは名家であった。

 

シェーンブルン宮殿で見たことをちょっと本で調べ、考察すると面白さが増してくる。専制君主でも、フランスのルイ王朝と随分と違った印象である。