ドイツ化学史 旅のメモ(4)  3月22日  伊藤 一男
 
 リービッヒ博物館ーカリ球ー
 
 リービッヒ博物館には当時の実験器具のいくつかが展示されているが、リービッヒ
の考案によるカリ球は見逃せない。ギーセン化学教室のシンボルであるばかりではな
く、のちにアメリカ化学会の紋章にも採用されているからだ。
 
 当時は、新しい反応を試みて未知の化合物を得たとしても、同定する術は燃焼法に
よる元素分析しかなく、それも猛烈に時間がかかる効率の悪い方法でしかなかった。
例えば、有機物質に原子説を当てはめようとしていたベルセリウスも、「14個の資
料の分析に12ヶ月もかかっている」と友人にぼやいていたという。化学の研究は、
まさに物質の分析時間との戦いであった。
 
 そもそも有機物を分析するのに、その炭素を炭酸ガスに、水素を水蒸気に変化させ
てそれぞれの量を測るという原理は、1784年にラヴォアジエが創始したものであり、
その後、ゲイリュサックやベルセリウスによって改良が加えられた。リービッヒも
両先生の方法を学んだのち、1831年にカリ球を用いた独自の分析方法を発表した。ポ
イントは炭酸ガスの吸収方法であった。それまでのベルセリウス法では、水分を除い
た炭酸ガスを一旦容器に溜め、水銀の上に固形の苛性カリを入れた小びんを浮かべて、
炭酸ガスが苛性カリに吸収されるのを24時間待つというものであったが、リービッヒ
はそれを20分の1以下に短縮してしまった。
 
 リービッヒが考案したカリ球は、それぞれ苛性カリの濃厚水溶液の入った5個のガ
ラス球からなり、下の3球が炭酸ガスを吸収し、上の2球は燃焼管へ逆流するのを防
ぐためのものであった。カリ球の一端はゴム管で乾燥管と呼ばれる塩化カルシウムを
つめたガラス管につながり、乾燥管に接続して硬質ガラス製の燃焼管がある。燃焼管
のなかには分析試料の有機物に酸化銅の粉末を混ぜたものが入れてあり、炭火で加熱
された試料は、酸化銅が供給する酸素の作用で炭素は炭酸ガスに、水素は水蒸気に変
わり、これらの混合ガスが燃焼管から出てゆく。乾燥管を通り抜けるときに、水蒸気
は塩化カルシウムに吸収され、炭酸ガスは次のカリ球の中を小さい気泡となってくる
くる回るうちに苛性カリ溶液に吸収されるのである。
 
 「この装置には単純性と完全な信頼性の他には、何ら新しいものはない」、とリー
ビッヒは発表論文のはじめの部分で述べているが、この単純性と信頼性こそが、化学
研究成果の生産性を大幅に加速せしめる原動力となった。
 
注)リービッヒがカリ球を発表した1831年は、ヨーロッパにとっては多難な年であっ
た。コレラが流行ったのである。ベルリンでは哲学者のヘーゲルもコレラで死んだ。
リービッヒの無二の親友ヴェーラーは、当時はベルリン工業学校に勤めていたが、
妻と子供をコレラから守るために、休暇届を出して妻の実家のあるカッセルに来てい
た。ついでにこぼれ話であるが、ヴェーラーはベルリン時代に一時ヘーゲル宅に寄宿
していたそうである。