ドイツ化学史の旅(6)  4月2日      伊藤一男
 
 ハイデルベルグ
 
 ハイデルベルグは皆さんの方がよくご存じであるから、いまさら観光説明を加える
野暮なことはしないつもりであるが、ただ化学史の目から見れば、何と言っても「ハ
イデルベルグ大学にブンゼンあり」ということになろう。
 
 1386年の創設以来、文運の興廃とともに大学の命運も波のごとく揺れたが、化学の
ブンゼン(1811-1899)、物理学のキルヒホッフ(1824-1884)、生理学のヘルムホル
ツ(1821-1894)の3人を同時期に擁し、ハイデルベルグの三つの星と称えられ
た19世紀後半は、往年の黄金時代を再現する趣きを呈した。なかんずく、大学の権
威のために最も貢献したのは、もちろんブンゼンである。
 
 ブンゼンがこの大学に奉職していたのは1852年から1888年までであるが、この前後
にも錚々たるヶミストが往来した。
 
 ブンゼンが来る前のことであるが、ハイデルベルグ大学の化学教室が医学部から分
独立したのは1817年のことで、初代教授は群青やフェリシアン化カリウムなどの
研究で有名なグメリン(1788-1853)であった。ヴェーラーもグメリンの影響を受け
た弟子の一人である。マールブルグ大学で医学を学んだのち、グメリンを慕って1821
年にハイデルベルグ大学で化学を学び、さらにグメリンの紹介で1823年にスウェーデ
ンのベルセリウスの門下生となった。
 
 グメリンが引退するとき、後継者として彼自身はブンゼンを最も強く希望したが、
別にギーセンのリービッヒを迎えようという意見もあり、なかなか意見の調整に手間
取ったが、リービッヒのミュンヘン行きが実現したので、ハイデルベルグはブンゼン
に決まったという経緯がある。
 
 ブンゼンがハイデルベルグ大学で教鞭を取るようになってから、しばらくしてケク
レもヨーロッパ各地の遍歴修行からドイツへ戻り、ここで講師を務めながら、炭素の
原子価理論の論文を発表した。しかし、ケクレはブンゼンとウマが合わなかったのか、
わずか2年ほどでベルギーに招聘されてここを去った。
 
 さて、ハイデルベルグ大学におけるブンゼンゆかりの見どころは三つある。
1)1908年に建てられたブンゼン記念像
 大きな床石の上に仁王立ちしていた立派な銅像は、化学教室からそれほど遠くない
緑地帯の中央、城山の麓の森の前にあったが、現在は床石からはずされて、近くの解
剖科学研究所の前庭に移されている。
2)ブンゼン記念像があった元の場所
 1969年に山岡望先生が訪れたときは、かつての床石の台は銅像が移設されたあとも
そのまま放置されて道路工事の資材置き場になっており、悲哀を感じられた由。もし
近い将来、この学都を訪問する人があったら、その後どうなっているのか、見届けて
もらいたいものである、と先生は「化学史窓」(1971年)で述べておられる。
3)ブンゼンが居た化学教室
 「化学者ブンゼンの1852年から1889年までの住居」という札がかかっている。建物
全体が化学教室で、二階がブンゼン教授の住居であった。