我孫子ゆかりの文化人(1) 4月1日  伊藤一男

 はじめに

 私が我孫子に住み始めてかれこれ27年になろうとしている。

 我孫子市は千葉県の北西部、都心から30キロ圏に位置してお り、市域は南北に4~6キロ、東西に14キロと細長く、北側は利 根川を、南側は手賀沼を望む自然に恵まれた台地である。昨年結婚され た紀宮さまが勤務されていた山階鳥類研究所(総裁は秋篠宮殿下)があ ることでも知られる。また、青木功出身の我孫子ゴルフ倶楽部は名門 コースとして有名である。

 手賀沼を抜きにして我孫子を語ることはできないほど、我孫子はこの 沼との関わりが深い。明治から大正にかけて、当時の学者や文人たちが 競ってこの地に住居や別荘を構えたのも美しい手賀沼の景色や自然に惹 かれたからであった。特に大正期になると、雑誌『白樺』の同人はじ め、多くの文人
芸術家学者がここで創作活動を行った。我孫子が 「北の鎌倉」といわれる所以だ。

 大正から昭和にかけて、ここ我孫子で活躍した文化人を挙げてみよう。
白樺派同人
・・・志賀直哉(作家)、武者小路実篤(作家)、柳宗悦 (民芸運動の創始者)        
その他文人
・・・柳田国男(民俗学)、杉村楚人冠(朝日新聞ジャーナ リスト)、中勘助、滝井孝作(作家)
陶芸家
・・・・・バーナードリーチ(英国人)、河村蜻山
学者
教育者・・嘉納治五郎(柔道)、岡田武松(我孫子生まれの気象 学者)、血脇守之助(我孫子生まれの歯科医学者)

 これらの文化人のうち、白樺派三羽がらすの志賀直哉、武者小路実 篤、柳宗悦の屋敷跡が我孫子の史跡として保存されている。

 我孫子に一番最初に移り住んだのは柳宗悦であり、大正3年 (1914年)のことであった。彼は我孫子がとても気に入り、翌年 の大正4年、すべてのお膳立てをして新婚の志賀直哉夫妻やバーナー ド
リーチを呼び寄せた。志賀は志賀で、友人の武者小路を勧誘し、か くてここ手賀沼湖畔に白樺派コロニーが出来上がった。柳宗悦は当時の 手賀沼を次のように描写した。

  夕日が沈みかけて、空が紅の色に染まる頃、沼越しに富士山を幾度 見たかわからない。「入り日が綺麗だこと」、「富士が素敵だ!」、と も角一家のうちで先にみつけたものがこう叫ぶ。よく志賀(直哉)の家 の窓から、首をのばして大人から子供から下女まで、西の空を眺めたも のだ。ここは地上の美しい場所の一つだと自分はよく思った。(『我孫 子から』)
 
 さて、その手賀沼であるが
・・・、近年我孫子市や隣りの柏市が東京 のベッドタウンとして急激に都市化が進んだため水質汚濁に悩んでいた が、利根川の水を大量に沼に注入することによって最近、ワースト ンの汚名を返上してかなりきれいになっている。(添付の写真は手賀沼 から見た我孫子市街)


次回は「すべての始まりは嘉納治五郎であった」