我孫子ゆかりの文化人(6)     5月7日    伊藤一男

「志賀直哉の知られざる人間的側面」

 昨年の10月に、志賀直哉の直弟子作家である阿川弘之氏の「志賀直哉と我孫子」と題する講演会が 当地の市民会館で行われた。85歳とは思えない元気 な姿と滋味溢れる口調が絶妙のハーモニーを醸し出 し、あまり知られていない志賀直哉の人間的側面をユーモアを交えながら話してくれた。そのなかで、 興味をそそられる2、3のエピソードを紹介しよう。

1)生涯に23回も引っ越しをし、それも大抵の場 合、即断即決で決めてしまっていた志賀ではあった が、いつも不思議と風光明媚な土地柄に行き着いて いた。彼は信仰とか迷信の類いは一切受け付けな かったが、彼自身は妙に神がかっていて、動物的カ ンも持ち合わせていた。関東大震災のときも、志賀夫妻はその直前に我孫子を離れて京都に移っており、難を免れている。また、終戦後間もない頃、阿 川氏が郷里の広島から上京したついでに、当時熱海 に住んでいた志賀直哉宅を何の連絡もなく訪れたときも、志賀は別に驚いた様子もなく、「今日あたり 君が来ると思っていたよ」と平然としていた由であ る。

2)志賀直哉はなかなか気難しい人であったが、反面、とても気配りの人であり、阿川氏にはことのほ か面倒見がよかったらしい。これに対し、講演の最後の質疑応答で地元の白樺派研究家の一人が阿川氏に噛み付いた。「志賀直哉は小説の中で、<妻の着 物を切り裂く>とか、<突き飛ばしてホームで転倒 させた>(『暗夜行路』)など、随分女性を虐待し ている描写があり、まことに許しがたいと思うが、 実際はどうでしたか?」 ちょっと困った表情の阿川氏であったが、おもむろに答えて曰く。「うー ん、<着物を切り裂く>ことは実際にあったかも知 れないが、<ホームで突き飛ばした>のはフィク ションでしょうね」

 ともあれ、志賀直哉はかなりの癇癪持ちであったことは確からしい。それは個人の性格の問題だから許容せざるをえないが、関連の作品を読んでいる と、結構はしたない言動も目につく。

 ひとつは、徴兵逃れである。阿川弘之『志賀直哉』にはこんな内容の記載がある。
 <徴兵検査に甲種合格した直哉であったが、知人の病院長に予め然るべき配慮をしてもらえるよう頼 んであり、実際に「兵役免除」の知らせを受けたときは異常な喜び方であった。直哉を兵役の義務から解放したのは、作られた一枚の診断書だ。いくら検査しても悪いところが無いので、病院長の配慮によ り極度の難聴ということで処理された>。

 もうひとつは、明治天皇が崩御され、次いで乃木 将軍が殉死したときの志賀の日記である。
 「乃木さんが自殺したといふのを英子(注:ふさ こ、腹違いの妹)からきいた時、『馬鹿な奴だ』 といふ気が、丁度下女かなにかが無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」 (『志賀直哉日記』大正元年)。
 私はこれを読んで、志賀直哉の人格を疑うとともに、この作家の人間的側面にいささか失望した。こ れに対し、夏目漱石と森鴎外は、乃木将軍殉死に心 を動かされ、漱石は『こころ』を書いて「先生」を自殺させ、鷗外も『興津弥五右衛門の遺書』を書 き、「死」を主題とした小説のなかにそれぞれの感慨を表現した。

 最後にあとひとつ。「我が国の国語をフランス語 にせよ」と主張したこと。
 「日本の国語程、不完全で不便なものはないと思ふ。その結果、如何に文化の進展が阻害されていた かを考へると、これは是非とも此機会に解決しなければならぬ大きな問題である。
・・・・・そこで私は此際、日本は思ひ切って世界中で一番いい言語、 一番美しい言語をとって、その儘、国語に採用して はどうかと考へている。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ」(雑誌『改造』昭21年4 月号)。何をか言わんや!である。

 このように、志賀直哉のはしたない言動はまだ他にもあるが、あまり挙げると文化勲章受章者としのイメージを損ねかねないので、この辺で止めておこ う。
(次回は「武者小路実篤と我孫子」)