20016

西 村 三千男 記

続々「ポコポコ・イタリアーノ」

 

第3話 我が追憶のトリノ

 

冬期五輪2006が北イタリア・トリノで開催されている。当HP2005年号の拙

稿「カムパリ」に書いているが、そのトリノは約40年前の欧州駐在員時代、私の主戦

場であって頻繁に訪問していた。イタリア自動車産業の中心都市で、デンカクロロプレ

ンの重点ユーザーが集中していたからである。その後のイタリア旅行で再訪したことは

ないが、往時の幾つかの懐かしい思い出を綴ってみよう。

 

名画「苦い米」とポー川流域

当時、私のアクセス法は空路でも鉄路でもなく、例外なく代理店の若きセールスマン

M氏の車でアウトストラーダを往復していた。ミラノから片道150キロ位であった。

そのアウトストラーダ沿道には米作の水田地帯があった。イタリアで最も長い川である

ポー川の流域である。往年のイタリア名画、シルバーノ・マンガーノ主演「苦い米」の

撮影ロケーションがこの周辺だと聞いたことがあった。

 

コケティッシュな女通辞

その頃の私のイタリア出張のパターンは、英語を話さない相棒のM氏、イタリア語を

解さない私、その間に英語/イタリア語を通訳する若くてコケティシュな女性が加わり

3人旅ドライブであった。このドライブをこよなく楽しんだ話は、HP2003年号の

「ポコポコ・・・」第1回の中に描写している。

 

FIATの街

トリノはフィアット自動車の城下町である。イタリアのデトロイトと呼ばれることも

ある。今回の冬期五輪2006をトリノに招致するについてもフィアット社と同社の総

帥(故人)との多大な貢献があったという。現在は経営不振が伝えられるフィアットで

あるが、当時のヨーロッパでは西独フォルクスワーゲンと生産台数を競う巨大カーメー

カーであった。ちなみにその頃の日本の自動車産業は未成熟で、あのトヨタでもフィア

ットより遙かに下位の位置付けであったと思う。因みに当時私がドイツで乗用していた

マイカーはFIAT1500(愛称ミレチンクェチェント)であった。

 

当時も今も、イタリアには自動車大好きマニアック人間が多い。トリノはそのイタリ

アの自動車産業の中心都市であった。当時、こんな話を聞いたことがあった。例えば、

或る日、或るカーマニアが自分の車に三角形のタコメーターを取り付けたくなったと仮

定する。そんなモノを1ヶだけ試作してくれる都市は世界中でトリノしかないと。

 

 ポルティコの街

仕事で度々訪ねたがトリノの街を観光したことはない。トリノの街はボローニャと同

じか、又はそれ以上に柱廊ポルティコが美しい。格調高いショー・ウインドーやバール

が軒を連ねている。相棒のイタリア人セールスマンM氏(トリノ在住)は新婚であった。

彼の新妻はトリノでショー・ウィンドーのディスプレーのプロとして働いていた。その

様な専門職業があることさえ当時は知らなかった。

 

ホテル・アンバシャトリ

トリノの定宿はホテル・アムバシャトリ (Hotel Ambasciatori) であった。アムバシ

ャトリとは大方(Hotel Ambassador + Torino) 位の意味かと漠然と想像していたが、ベ

ニスやローマにも同名のホテルが存在するので想像は外れていた。当時の私の各出張先

の定宿の中では上等の方であったと記憶するが、いまネット検索すると、あに図らんや

B級にランクされていて(Jolly Hotel Ambassciatori)となっている。

 

                       (以下次回)