鎮魂ミサ曲の美しさ

(2)メンデルスゾーン、シューマン、ドボルザーク

 

中村省一郎(1-6-2006)

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オーケストラと合唱で演奏されるミサ曲や鎮魂曲はカンタータともオラトリオともよばれる。カンタータの意味は楽器による伴奏のある合唱で、17世紀からはじまった。というのはそれ以前の教会の合唱曲は楽器の伴奏がなかった。オラトリオはオーケストラと合唱で演奏される大曲を意味する。ベートーベンの第九もオラトリオである。ここで紹介している鎮魂曲はすべてオーケストラと合唱で演奏され、5ないし15個の曲で構成されているオラトリオである。

 

オラトリオ形式で書かれた一般のミサ曲は鎮魂曲と形式も規模も良く似ており、これも多くの作曲家が曲をかいた。一般のミサ曲と鎮魂曲とが異なるところは、前者は教会での祝典などに使われ、明るくにぎやかな曲が多く含まれていることである。しかし曲によっては「鎮魂」の字がなくても鎮魂曲と解釈できる曲もある。それに、多くの鎮魂曲の歌詞には人に死を悲しむような言葉はほとんどなく、キリストの偉大さをたたえる句でうめられている。その意味で一般のミサ曲との境ははっきりしない。しかし時代が下ると、死の痛ましさや死を恐れる表現が「鎮魂曲」に多くなる。今回は、メンデルスゾーン(1809-1847)、シューマン(1810-1856)、ドボルザーク(1841-1904)の曲について記そう。

 

メンデルスゾーンは鎮魂曲と名のつく曲は書かなかったが「Elijah」というミサ曲をかいた。この曲は英国で初演され、大好評となった。二度目の英国の演奏のあとの新聞記事がインターネットで読める。裕福な家に生まれ生涯幸福に生きたメンデルスゾーンであったが、この曲を書いたときの疲労が原因になって、完成後まもなく生涯を終えた。Elijahは厳密には鎮魂曲ではないが、曲としては他の作曲家の鎮魂曲と並べても違和感がない。ついでながら、メンデルスゾーンの功績が英国では非常に高く評価されたのに、ドイツでは軽視されたのは、メンデルスゾーンがユダヤ系出身であったためで、ワグナー(1813-1883)もメンデルスゾーンの音楽に汚名を着せたのを始まりに、ナチの時代には墓地やメンデルスゾーンの生家などの取り壊しを行った。

 

シューマンは鎮魂曲を1852年に完成した。これを書くに当たって彼はバッハのロ短調のミサを丹念に調べたことが知られている。「鎮魂曲の真髄は音楽の美である」といった彼の言葉に注意したい。しかしモーツアルトの鎮魂曲の甘く悲しげな旋律に反発した。

 

ドボルザークは「鎮魂曲」も書いたが、そのほかに「Stabat Mater」というミサ曲がある。ここで紹介するのはこの中の一部である。この曲は彼が3人の子供を失った悲しみの中で書かれた。この曲歌詞は聖母のキリストに死なれた悲しみが主題で、鎮魂曲に当てはまると考えられる。ドボルザークの本当の「鎮魂曲」については別の機会に紹介したい。