切干大根を選んだアヤ

中村省一郎(2-3-2007)

 

孫のケンタは大人が美味しいと思うもので嫌いな食べ物はない。何にでも興味を持ち、これは嫌いということがない。一つ例外は、妹のアヤがいつも近くに来てケンタと一緒に同じことをやりたがることである。アヤは1歳になる前から、ケンタのやることを、自分もやりたくてしかたがないのであるが、ケンタにしてみると、こんな赤ん坊の妹といつも付き合ってやることは大きな負担になるから嫌がる。

 

一方アヤには食べ物の好き嫌いが多い。ソーセージは好きだが、嫌いなものは、皿ごと投げ飛ばすくらい嫌いである。ところが、娘からの報告によると、最近驚くべきことがおこった。一月のある日、お手伝いさんにつれられて、食料品の買い物にでかけた。車つきの買い物籠にのせられて、店を歩き回るうち、自分のほしいものを3品みつけて、お手伝いさんに買わせたというのである。まだ言葉は数語しか言えないので、ほしいものがあれば、指差して「あー、あー、あー」としかいえないが、何を意味しているかは、明瞭である。そこで、その3品を買って、家に帰ってから与えると、どれも美味しそうに、たくさん食べたという。

 

その品が何だったか聞いて、再びおどろいた。その一つは切干大根の煮付けであった。大根の切干は、私自身は大好きであるが、家内はいままで自分から買ってきて煮たことはないに近い。アヤの両親は切干を自分たちでは絶対に食べない。ではなぜ、それまで見たことも食べたこともない切干をみて「あー、あー、あー」となり、ばくばくたべることになったのかが、不思議な謎だ。アヤはまだ、1歳4ヶ月なのである。

 

ここで思い起こされるのは、動物たちの生まれながらにして持っている驚くべき知恵知識である。そのような本能については人間の場合はよくわからないことが多い。ところが動物の場合、親から習うことも多いのだが、習わないでも知っていることが非常に多いことははっきりしている。たとえば、鳥は巣の作り方を親から習うのではない。にもかかわらず、巣をつくるときは、巣の底に使う荒い木材をまず運んで、枝にかけ、だんだん細かい木材を集め形をととのえ、最後にやわらかい材料で内部を仕上げる。このやり方は、鳥の種類によっても異なり、ある種の鳥は、長い繊維質の材料で、籠のように編んで巣を作る。また動物が、子供を産んだり育てたりする過程は、だれも教えないのに、鳥なら卵を抱くことを知っているし、うまれた雛をどう育てなければならないかも知っているのである。鳥以外の動物でもすべて似たことが言える。

 

こういう先天的な能力について、最もわかってないのが人間ではないだろうか。言葉による後天的知識が多く、教えなくても知っているような事があるのかないのかさえ分りにくい。また、教育と規則による型へのはめ込みが、先天的な能力を殺していることも多いと考えられる。

 

しかし人間の頭脳の能力は、鳥やけだものたちと比較して何倍、あるいは何十倍も優れている。だから先天的に知っていることが多数あっても不思議ではないように思う。アヤが切干をみて即座にほしがったのは、私の切干が好きだったと言う特性が遺伝をとおして伝わったのかもしれないし、あるいは自分の体が欲している食べ物を、本能的に選んだのかもしれない。いずれにしても、驚くべき先天的能力である。アヤくらいの年齢では、言葉を通して学んだ知識はほとんどないから、先天的な能力がはっきり観察しやすいのではないだろうか。