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西 村 三千男 記

「ベルリンの壁〜チャーリーポイントの想い出」

 

今月催行の「ドイツ化学史の旅・パート2」の締めくくりはベルリンとなっている。

この機会に是非訪ねてみたい場所がある。チャーリーポイント (Checkpoint Charlie)

旧跡である。現在は「ベルリンの壁博物館」となっているようだ。

 

40数年前のデュッセルドルフ駐在時代「ベルリンの壁」を徒歩で超える機会が数回

あり、そのスポットがチャーリーポイントであった。下に述べるように、それは今思い

出しても恐怖を感ずる異様な体験であった。

 

当時、電化クロロプレンを東独に売り込む努力をしていたことは、当HP2002年

号の拙文「我が追憶のハイデルベルク、そしてドイツ」の第8話 リッチマンL氏の

こと」の中で触れている。そのための商談は東ベルリンやライプチッヒで行っていた。

 

当時の日本国パスポートには国交のない東ドイツは記載されていなかった。東独へ出

張する時には、事前に(無駄を承知の上で)デュッセルドルフの日本領事館へビザ申請

に出向く。領事館では「日本国政府としては東ドイツという国を認識していないので、

ビザの発給などのことは出来ない。ご自分のリスクで処理されたい。」と予想通りの回

答しか得られなかった。

 

 さてチャーリーポイントであるが、これは連合国(米、英、仏等)と外国人専用のパ

スポートコントロールであって、ドイツ人には別に複数箇所のパスポートコントロール

があった。私の出張はドイツ人L氏と同道していたが「ベルリンの壁」を超える際には

別れ別れになるのであった。心細いけれど単独で「壁」を通過するほかなかった。関所

は念入りに5段階もあった。第1に西ドイツの出国チェック、第2に連合軍の出国チェ

ック、第3に(忘れたけれど)税関?、第4にソ連の入国チェック、第5に東ドイツの

入国チェックと続く。その間はオフィスからオフィスへと徒歩である。火の見やぐらの

様な高い塔からも監視されていた。突然意味もなく駆けだしたら、多分上から狙撃され

たであろうと当時想像していた。

 

(おわり)