孫たちとの一週間               (7-18-07)

中村省一郎

 

待ちに待ったこの夏の娘家族の訪問が実現して、我が家は非常ににぎやかになり、ジジとババにとって幸福の時である。孫のケンタ(4.5)とアヤ(1.8)は元気のよい子供たちで、無事に成長していることが有難い。

 

我家特有のことの一つは、話し言葉であろう。ケンタとアヤの父親であるマークもかなり日本語が上手になり、みなの日本語で話す内容がわかるようになった。しかし、込み入ったことになれば英語で言わなければならない。ケンタとアヤは日本語も英語もよく理解する。アヤはこちらの言うことは、ほとんど理解している。

 

といっても、アヤはまだしゃべりだしたところで語彙も少なく、アヤ特有の単語を使ってくれるので、しばらくは何を言っているのかわからなかった。ジジ、ババ、ママ、パパ、行こう、などはっきりしている言葉もおおいが、milkはミクミク、水はムー、「いや」も「いたい」もイタイ、赤ん坊はビビ、ジジグルグルというのは、ジジが(ぐーぐー)居眠りしていること。ケンタが通訳してくれるので、二日してほぼ全部わかるようになった。食事がおわり、「Iím done.」というのは、もう椅子から降ろしてくれという意味で、わかりやすい。

 

そのアヤが最近旅行中にどこかの空港で赤ん坊を見たという。ビビがこんな顔をしていたといって、目を閉じて口をつぼめてみせたのである。自分を赤ん坊とは思っていないらしい。

 

アヤは、たいていはニコニコしていて愛嬌をふりまいているが、ケンタが自分の使っていた場所を侵害したなど他人の行為で気に入らぬことがあると、たちあがって、ものすごい勢いで早口で抗議を申し立てる。おもちゃの取り合いで泣かされるのは、アヤではなくケンタである。アヤは泣かない。不満をこらえる時は、紙切れやおもちゃを手当たりしだい口に掘り込むところなど、女性ではないとやらない仕草ではないだろうか。

 

ケンタは語学に強く、2歳半くらいの時には、英語から日本語、日本語から英語への通訳を得意としていた。いまは方言の発音に興味を持っていて、新しい発音をきくとすぐにそれを真似しては楽しんでいる。昨日もオーストラリアで作った子供用のDVDを見て、同じ名前でも米国とは発音のことなるのを全部おぼえてしまって、そのDVDの場面を大人が話すとき米国流に発音すると、いちいちオーストラリア弁に直してくる。

 

昨日のこと、アヤが「落ちた」というとき「ち」にアクセントをつけるのが変だと何度もいう。アヤに、誰から「落ちた」を習ったのときくと、ケンタからという答えで、矛盾がある。いずれにしても、ケンタには、「ジジはむしろアヤのように発音するよ」、というと納得したようであった。そのついでに、ババは「お」のところにアクセントをつけるので、ケンタのママがケンタくらいに小さかったころ、よく喧嘩したものだ、と説明すると、よほどおかしかったらしくて、ジジとババが喧嘩と、笑いが止まらないようであった。その当時、私が関西弁の言い方をしてしまうと、子供たちは母親のところへ、すっ飛んで行き、「マーマ、パパはまた関西弁」と、報告に飛んでゆき、私に味方はいなかった。

 

ケンタとマークの会話で、おもしろいやり取りもある。たとえば、ケンタが「洗面所とかけてなんと解く」(洗面所は日本語であとは英語)となぞをかけると、マークが「Thousand people identically named Joe have to wash hands」とこたえると、ケンタは「A man named Joe washes face there a thousand times」のほうがよいと言い返す。

 

ケンタはピアノに向かい、日本語の歌曲の楽譜を取り出し、歌詞をいきなり読みながら同じ音を一本調子でたたきつずける。変なことをやると思ったが、母親の説明によると、寺付属の幼稚園で、木魚をたたきながらのお経をよく効かされるので、ピアノを木魚がわりに、歌詞のお経読みをしているのだという。

 

ケンタもアヤも、味噌汁とうどんが大好きである。ジジの手作りの味噌でつくった味噌汁は、三杯でもまだ終わらない。食事のあと、アヤは、はちきれそうな自分のおなかを見せながら、しょっしょっしょじょじ、の歌をはじめる。

 

時が流れるのは早い。楽しかった孫たちの訪問もあと一日で終わり、シアトルに最近買った自分たちの家に八月半ばまで滞在し、その後東京多摩に帰る。