2007.7.3

西村 三千男 記

再編「ポコポコ・イタリアーノ」

 

第3話 EUはイタリア語では「UE」

 

 欧州連合EUのことをイタリア語で「Unione Europea」という。従って略称はひっく

り返ってUEとなる。そしてEU国民のことは「Comunitari」または「Cittadini UE

という。

 

Extracomunitari」(欧州連合以外の国民)

 EU域外の人々をエクストラコムニターリという。スイス人、ノルウェー人、アイス

ランド人等を指す。日本人や米国人も該当する。空港の入国審査で区別されるのは仕方

がないと思う。が、EU加盟を希望しても、種々理屈を付けて拒絶されているトルコ人

にとっては差別の響きもある。

 

EU加盟は27カ国

前身のEEC(欧州経済共同体)設立が1957年、今年が50周年である。イタリア

はEEC第一期の6カ国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、フランス、西ドイツ、

イタリア)の一員であった。が、イタリアは政治、経済、社会各般で困難な問題が山積し

ていたので、いつも「グループ内の問題児」視されていた。

 

ユーロはそのうち13カ国

2002年にユーロを導入した際には「あの強いドイツ・マルクとあの弱いイタリア・

リラが共通化するのだ」と不安と期待とが交錯した。我が友人のドイツ人K家族はユーロ

導入に心情的に猛反対であった。イタリア・リラはいつも域内の劣等生であった。私が駐

在員であった1960年代の通貨の固定相場では1リラ=0.60円。使い残したリラは

出国する時に再両替出来ないからギリギリ丁度使い切る額を両替するようアドバイスされ

ていた。因みに当時、大きな、大きな10万リラ(=6万円)紙幣があった。4つに畳ん

で鼻がかめると揶揄されていたが、やがてサイズが並のレベルへ縮小された。

 

EECに対立するグループEFTAがあった(今も形を変えて存続)

EEC設立から3年遅れで、もう一つのグループEFTA(欧州自由貿易連合)が発足

した。そちらの加盟国は錚々たる7カ国(英国、オーストリア、スウェーデン、スイス、

デンマーク、ノルウェー、ポルトガル)であった。勢力が伯仲するEECとEFTAとで

ヨーロッパを折半する様相があった。電化クロロプレンの市場開拓先はEEC、EFTA

の双方にあった。漠然とではあったがEFTA諸国の人々の方がEEC諸国より親米的と

思えた。現地代理店や顧客の担当者と接触した感触では、当時はEFTA加盟国の人々が

EECに敵愾心(対抗心)をむき出しにしていたように思えた。そのEFTAは今も形を

変えて存続しているが、加盟国が4カ国に減って存在感は薄くなっている。

 

                             (以下次回)