バーボンの歴史

 

米国で作られるバーボンは最初、スコットランドから移住してきた移民によって始められ、アメリカの独立戦争までは、ペンシルバニア州の西端近くに位置するピッツバーグ市を中心に栄えた。バーボン製造者らは原料にスコットランドで用いる麦ではなく、トーモロコシを用いた。ピッツバーグからオハイオ州やケンタッキー州までは近く、これらの州にはトーモロコシが多量に安い値段で生産されていた。しかし当時は英国政府の植民地であったから、彼らの大きな悩みは、アルコールに課せられる重税であった。だから、独立戦争には協力をおしまなかったのだが、1776年に独立戦争が終わり、ワシントン政権が確立されると真っ先に政府の行ったことは税制を敷くことで、バーボン業者にとっては期待を裏切られたのであった。

 

そこで、バーボン業者は店をたたみ、さほど遠くないケンタッキー州や、テネシイ州に移動してしまった。これが、現在もバーボン製造のほとんどはこれらの二つの州に集まっている理由である。その後も、ワシントン政府の権力は南北戦争の終わるまでの約100年間は南部には及ばなかった。

 

(余談ではあるが、米国独立後初代の大統領になったジョージワシントンは大統領を二期勤めたあと1797年に政府の職から引退し、ワシントンDCの近くのマウントバーノンに移り住んだ。そこに、果実ブランデーとライ麦ウイスキーを作る大規模な工場を立て、経営にも成功した。)

 

しかしこれらの州も独立戦争終了の1865年からは、米国連邦政府の統治下となって、アルコールを課せられることになった。それを嫌った一部の業者たちは、もぐりの違法造酒を始めた。ケンタッキー州や、テネシイ州の東部はアパラチアン山脈の一部であり、畑が出来ず人口密度の低い地域がある。そのような地域の森のなかにこっそり蒸留器などをつくりバーボンを作る業者が絶えず、現在もあることは、時折摘発のニュースが流されることからも明らかである。このようなもぐりの酒をムーンシャン(つまり月光で造酒をおこないこと)という。

 

米国の自動車レースにナスカーというのがあるが、ここで優勝する選手の多くはケンタッキー州やテネシイ州で密造酒の運搬をやっていた経験者が多いという。その理由はもうお分かりのように、密造酒の運搬にはポリスカーの追いかけられても逃げ切るだけの運転の技術がないと出来ないからである。

 

オハイオ州の南部でケンタッキー州との境に近く丘陵地帯で非常に貧しい地域があるが、そのあたりでもムーンシャイン業者がいるといわれている。毎年その地域の小さな村でムーンシャイン祭りというのが開かれる。ムーンシャインの実演やるというふれこみなので、筆者の自宅からは車で一時間ほどで行けるところでもあり、出かけたことがあった。

 

小さな村の中央に、屋台店やメリーゴーランドをならべたカーニバルであった。そんな小さな祭りなのに、ムーンシャインの実演場所を探すと、知っている人がほとんどいなくて、手間がかかった。やっとみつけたが、それもそのはず、村の端で倒れそうな小屋の中で老人が、ドラム缶にトーモロコシと水を入れてかき混ぜていた。そのよこに古く薄汚い蒸留器がおいてあった。見学しているのは筆者だけで、一応密造バーボンの造り方を説明してはくれたが、どうもあいまいで、たとえば絶対に必要なはずの麦芽を使うという説明は何処にも出てこず、ここの密造法はどうもいんちきくさかった。

 

帰り際に、「面白かったよ」とお世辞を言っておいて、「そのムーンシャインのバーボンを味わってみたいんだけど、何処で売っているか教えてくれないか」と聞いてみた。即座に「知らん知らん」と、慌てるかのように繰り返した後、「だけど、もし知っていたって教えるわけがないだろ。お前さんが政府の調査員だったりすることもあり得るからね」。  (August,2008)