『トレミキシン開発物語』

 

武山高之(2008.9.26記)

 

前に、iPS(人工多能性幹細胞)と応用化学の気宇壮大な学際的協力について、述べました。今回はずっと小ぶりの私の成果について、お話します。 

 

私が東レの現役時代の最後に関わってきた新製品トレミキシンの開発物語が、『知遊』(20087月発行)という情報誌に取り上げられました。特定のグループにのみ配布されている冊子ですので、抜粋して紹介します。一般向けの易しい記事です。ご一読頂ければ、幸いです。

 

トレミキシンはICU(救急救命センター)で使う敗血症治療カラムです。敗血症ショックで重態になった患者さんの救命のために使われるものです。私が東レを退職する前に10年ほど、1984年から1994年の10年のあいだ、医療材事業部門担当理事として、プロジェクト・リーダーを勤めてきたものです。

 

研究開発は滋賀医大の谷講師(現在教授)のグループと共同で進められました。ポリミキシンという生理活性物質を極細繊維に化学的に固定したものをカラムに詰め、血液を体外循環して使うものです。

極細繊維カラムを使うことにより、血液抵抗を最小限に抑えた上に、効率的に敗血症の毒素を吸着除去できるようになりました。

 

私は、治験臨床と製造認可取得を終えた後、子会社に移りました。子会社の監査役をするかたわら、臨床データの整理と 臨床論文の投稿を行いました。

 

今では、年一回の研究会には、500人ほどの医学関係者がトレミキシンのために、集うようになりました。おそらく、このカラムを使うことにより、一年間に数千人の命が救われているでしょう。

 

今は後を継いだ後輩の努力で、海外展開が進められています。以下、ジャーナリストの福山健さんの報告から、とくに私がインタービューを受けたことを中心に、抜粋しました。

 

 

『知遊』(編集犬丸直、黒田東彦、児玉清)の掲載記事から抜粋

 

ヒューマンドキュメント「医療機器を開発した人たち」第10回

敗血症に陥った人たちの命を救う世界初の血液浄化器

「トレミキシン開発物語」 PART2

 福山 健 

 

「世界初で、販売開始から14年もたつのにいまだに類似製品もあらわれず、主力製品としての地位を保っている。さぞや卓越した能力をそなえた人びとが集まったプロジェクトだったのだろうと思われがちだが、そうではない」

 と、かつてのプロジェクト・リーダーは語る。

 では、開発が成功した最大の要因は何だったのだろうか。

(文中・敬称略)

 

 (中略)

 

開発のドラマからみると、科学論文のほうが虚構

 

「基礎実験、動物実験、臨床実験の結果は、きれいに論文にまとめられ発表された。多数の人の連名である。ここに書き切れないサポーターも多数いる。一人の力ではない。集団の力である。

 

 論文は理解しやすいように、理路整然と書かれている。実験も仮説に従って、順調に進んだかのように見える。しかし、実際の実験過程は、もつと複雑で、〈行きつ戻りつ〉があった。開発のドラマからみると、科学論文のほうが虚構である。開発物語はいずれ別に書かれなければならない」

 

これは、〔メモ(個人的随想)「長かった〝トレミキシン〟(敗血症治療カラム)開発」と題されたなかの一文である。随想の主は、武山(たけやま)高之(たかゆき)

 

トレミキシンの研究開発は1981年、滋賀県大津市にあった東レの繊維研究所が滋賀医科大学第一外科から抗生物質のポリミキシンの固定化の提案を受け、固定化繊維の開発のために共同で研究に取り組むことを決定したことに始まる。東レ社内では探索研究開始から二年目に開発プロジェクトが立ち上げられる。以来、10年以上にわたりプロジェクト・リーダーとして陣頭指揮をとってきたのが武山である。

 

武山の名は、内橋克人の著作『(たくみ)の時代』のなかに登場している。同書は、技術立国日本を支えた先達たちの苦闘と知恵と勇気を記録した名著である。東レが中空糸膜の製造技術をベースに人工腎臓を開発する過程が第六巻『人工臓器開発』のなかで描かれているが、その名は「〝狂気集団〟に助っ人次々」という見出しの箇所に出ている。

 

――やや遅れて、製品の滅菌方法について論議が湧き上がった頃、「狂気集団」にはさらに有力なメンバーが飛び込んでくる。武山高之(現在、岡崎工場フィルトライザー室長)だ。

彼は新しい「ガンマー線照射法」による殺菌について、一から研究を深めるうち、〝ミイラ取りがミイラ〟になってしまった男であった。一人また一人風変わりな執念の男たちが人工腎臓の周囲に群れ始め、チームワークをとりながら、アイガー北壁をのぼり始めたのだ。――

 

東レが事業化に成功した製品には、人工腎臓のフィルトライザーやトレスルホンだけではなく、心臓の僧帽弁(そうぼうべん)狭窄(きょうさく)症の治療用に開発されたイノウエバルーンカテーテルなどがあるが、それらの開発に武山はかかわってきた。

武山は随想のなかで、トレミキシン開発プロジェクト・リーダーの役割と宿命について、つぎのように述べている。

 

「学会では『臨床試験まだですか。いつまで動物実験ですか』と冷笑の声も聞かれた。社内では『いつまでやっているのか。まだ出来ないのか。もう金は出せないぞ』とかさむ研究費に苛立ちの声があがるのに、耐えるのもプロジェクト・リーダーの重要な仕事であった。しだいにサポーターも減り、孤独になる。これもプロジェクト・リーダーの宿命である」

 

 滋賀医科大学との共同研究の開始から、トレミキシンが市場に姿を現すまでには13年を要している。共同研究の開始から治験臨床開始まで8年、それから製造承認取得まで4年半、そこから10か月を経て販売にいたっている。

それがどのような歳月であったのか。確かにそれは理路整然と書かれている科学論文からは読み取れない。しかし武山の個人的随想の記述からはその実相が浮かび上がってくる。

 

「臨床実験にいたるまでに時間を費やしたのは、エンドトキシンの測定、試作品の品質安定性、動物実験の再現性に関する困難によるものであった。時間がかかると研究費がかさみ、全社会議ではプロジェクト・リーダーは被告席に立たされ、非難をあびる。

 

 測定データを考えては眺め、眺めてはまた考える日が続いた。In-vitro(注・試験管内) の吸着実験のバラツキは、吸着等温曲線の濃度依存性としてまとめることに気がつくまでに時間がかかった。

 

 コントロールが難しい動物実験では、動物個体差が避けられず、それに試作カラム(円筒状の容器)上へのポリミキシンB固定のコントロールが難航し、データのバラツキの合理的解釈にも時間がかかった。毎晩、データを持ち帰り、眺めては、翌朝に議論することが続いた。そこでは、リーダーも担当者も同じであった。ちょっとしたヒントから瓢箪(ひょうたん)から(こま)の結果を導くこともしばしばあった。

 

 生体内でエンドトキシンを追う測定は難しい。学会でもいまだに十分に確立されていない。このようなときは『(あきら)めて他の開発方法をとろう』と提案するのも、リーダーの重要な役割であった。制御した条件で、ポリミキシンBを繊維へ固定することにも、手間取った。繊維・高分子技術を動員するため、プロジェクト・グループ外の部署に依頼するのも、リーダーの大切な仕事である」

 

(中略)

 

 医工連携の最高モデル

 

 集中治療・救急医療の場で使用されるトレミキシンの開発における最大の山場は、実際に患者に使用して効果と安全性が試される治験(ちけん)臨床(りんしょう)であっただろう。

 治験臨床は、五年に及ぶ動物実験の成果を踏まえ、治験前社内安全審査委員会での検討を経て開始される。開始にあたって最大の問題は、はたしてどれだけの医療施設が治験に協力してくれるか、であった。

 

 確かに敗血症の症状を呈したイヌを用いた動物実験ではトレミキシンによる病態の改善を数多く確認できた。しかしだからといって、実際に人間に用いた場合でも同じ効果が現れると保証されたわけではない。それを明らかにするのが治験臨床の場である。対象となる症例は、重症敗血症や敗血症性ショックなどであり、いずれも病態が悪化すれば生命の維持があやぶまれる症状だ。

 

 そうした症例を対象にした治験臨床の結果、トレミキシン治療がたしかに病態を改善するという有用性が証明されないかぎり、厚生省(現・厚生労働省)に対して製造承認を申請することはできない。有用性の証明には、少数ではなく多施設における臨床試験の成果が求められる。

 

 このとき、優れたリーダーシップを発揮して、トレミキシンの多施設臨床試験の実現に力を尽くしたのが、滋賀医科大学第一外科の小玉正智(まさし)教授である。

89年から2年間、8つの大学病院において臨床試験が行われ、42例がエントリーされた。その結果、「血中エンドトキシンの低下」「循環動態改善」「速やかなサイトカイン低下」などの臨床効果が確認され、製造承認の申請、取得へと結びつく。

 

多施設臨床試験は89年~91年を第一回目として時期をずらして3回行われている。取り組んだ施設は全部で、37施設・175例に上る。

これだけの数の施設と症例を集めることができたのは、「ひとえに小玉教授の人徳とネットワークのおかげ」という点では、東レ関係者の見解は一致している。

 

東レの技術者たちは、どんな思いで臨床試験を見つめていたのだろうか。そのときの心境をプロジェクト・リーダーであった武山が先の随想のなかで「小玉教授のリーダーシップで多施設臨床試験に」との見出しでつづっている。

 

「ともかくも、効果と安全性を確認して臨床試験に入った。臨床試験は医学者の仕事である。われわれは、医学者たちを助ける役目になる。忙しい医学者たちのあいだを走りながら、進める仕事はたくさんあった。不手際もあり、小言もたまわった。臨床試験を進めると、動物実験ではわからなかったことがわかってくる。『著効』が出ると、患者が救えたことを、医師と一緒に喜び、開発を進めてきた喜びを実感した。『無効』のときは、まだ力が至らぬことを反省した。そのときは、医師と技術者の心は一体となっていた」

 

滋賀医科大学を退官して8年になる小玉教授は、現在、三つの肩書きを持つ。近江草津徳州会病院総長、日米医学医療交流財団会長、滋賀医科大学名誉教授。

近江草津に小玉教授を訪ねた。

 

「新設間もない滋賀医科大学は教官も学生も新進気鋭、自由闊達な雰囲気のなかで熱気に満ち溢れていた。着任以来、臨床と研究と教育の三本柱を通じて医学・医療の場で有為な人材を育成することに傾注してきたが、東レとともに取り組んだトレミキシンの開発は、若い人材を大きく成長させる舞台でもあった。

 

敗血症に伴うショックおよび多臓器不全は集中治療部での死亡症例の過半を占める。学問的にも未解決の問題が多い分野の治療法の解決に、まだ大学院生であった谷先生を中心に花澤先生(一芳。現・豊郷病院副院長)ら若き研究者たちが果敢に挑戦し、エンドトキシン吸着療法の有用性を証明し、今日では数多く臨床使用され、重症症例の救命に役立っている。

そのような人材が私の教室から育っていってくれたことは嬉しいかぎりだが、トレミキシン開発に携わっていまでも誇りに思うことは、井上春成(はるしげ)賞を頂いたことだ」

()り残した最終目標に向かって

 

「後継者に託す海外展開――遣り残した最終目標」

トレミキシン開発の検討経過事項の最後に、プロジェクト・リーダーであった武山はこう記している。

 

開発当時「若手研究者」であった小路は、滋賀医科大学との共同研究で医学博士の学位を取得し、現在、東レ・メディカルの常務理事として、「遣り残した最終目標」に向かって邁進する日々を送っている。スケジュール表には海外出張の予定がびっしりと書き込まれている。

 

ベルギーでの集中治療と救急医療に関する国際シンポジウムのあと、モスクワにあるロシア医科学アカデミー所属の心臓血管外科センターからの要請が小路のもとに届いた。そこには、モスクワで開催される血液浄化学会においてトレミキシンを使った血液浄化療法の適用症例や治療効果について講演を行ってほしい、との依頼が記されていた。

 

モスクワには昨年も訪れているが、そこで驚くべき体験をしている。

前出の心臓血管外科センターにおいて、トレミキシンのカラムの構造や治療効果について講演をはじめようとしたときのことだ。講演会の座長のドクターが歩み寄り、話しかけてきた。

「いま集中治療室にトレミキシンを使うのに適用すると思われる患者がいるので、実際に使ってみたい。ついては、操作方法についてナースに教えてくれないか」

 

そこで、同行の東レ・メディカルの社員がそのドクターとともに集中治療室におもむき、ナースを指導してトレミキシンが使用できるよう準備にかかった。

小路は集中治療室とは離れた会議用の部屋に連れていかれ、そこで30人ほどのドクターを前にスピーチをはじめた。すると、その部屋に設置されている大型テレビ画面に、集中治療室でトレミキシンを使った血液浄化療法の様子が同時進行で映し出されるではないか。「おっ、下がっていた血圧が上昇しているようだ」と、座長のドクターが映し出されるモニターを見ながら解説した。小路のスピーチにこのうえない臨場感を添え、期せずして最高のプレゼンテーション効果を上げることになった。そして、それがロシアにおけるトレミキシン適用の第一例となったのである。

トレミキシンの海外展開は、ヨーロッパからロシアへ、さらに現在、アジアへの展開が準備されている。

 

「プロジェクト・リーダーから見て、トレミキシン開発が成功した最大の要因はなんだと思いますか?」

 武山にインタービューする機会を得て、尋ねてみた。すると、つぎのような答えが返ってきた。それを最後に紹介しておこう。

 

「世界初で、販売開始から14年もたつのにいまだに類似製品も現れず、主力製品としての地位を保っている。さぞや卓越した能力を備えた人々が集まったプロジェクトだったのだろうと思われがちだが、そうではない。一人ひとりは平凡な努力家の集まりですよ。

 開発の特徴点としては、医工間の学際性と繊維からの技術移転による独創性、製造技術の基礎と体外循環技術はダイアライザー(高分子でできた中空糸膜を用いた透析装置)からの継承などが挙げられる。発想は吸着現象で化学者にわかりやすく、親しみやすいものだったが、臨床結果のまとめには以前開発した人工腎臓よりもはるかに詳しい医学の教養が必要でした。

 

 独創的であるがゆえに立ちはだかる幾多の開発障壁。それを乗り越えるために、開発努力が集中された。そこには、サクセスストーリーでは脚光を浴びない多くの下積みの人たちの努力が積み重なっているのです。この人たちの地べたをはいずりまわるような努力なくしては開発は成功しない。これまでいくつかの開発プロジェクトの部隊長を務め、現場の技術者たちの声に耳を傾けてきましたが、口下手の人ほどいい仕事をするように思える。できることならば、そうした人たちの名前をここで全部掲げてもらいたい。

 

トレミキシン開発成功の最大の要因は、一人ひとりの平凡な努力家が、皆で力を合わせて、地べたをはいずりまわるような努力を辛抱強く積み重ねてきたということです」