2008.1.22修正

西村 三千男 記

 

連載「ドイツ化学史の旅・パート2のこぼれ話」

 

第8回 E.メルク社〜その1(超エクセレントカンパニー・・・)

 

旅の第1日目、ダルムシュタットのE.メルク社を往訪見学した。藤牧さんが数ヶ月前に

訪問し、予備打合せをしておいてくれたので準備を整えて応接してくれた。女性のベテラ

ン化学者 Ms. Eiers が丁寧に案内してくれた。この会社は超エクセレントカンパニーだ

と思った。

 

アメリカのメルク社 Merck & Co. USA とは同根ではあるが、今は完全な別会社である。

その経緯は、E.メルク社の社歴と併せて次回以降に紹介することにして、ここでは同社

のプロフィールと同社を超エクセレントカンパニーと思う根拠を列挙しよう。

 

1.創業時は薬局、長い社歴を持つ。永年ファミリーオーナー経営が続いた。多角化して

化学品事業に進出し、大きな発展を遂げる。武田薬品工業のようだ。

2.2度の世界大戦で戦災に遭っても、歴史を語る古い文献や品々を遺し、企業アーカイ

ブ博物館を整備し、そこには担当するスペシャリストを配属している。

日本ペイントのようだ。我々の為にリービッヒやケクレの貴重な資料を準備してくれ

ていた。伊藤一男さんが垂涎するほどのアーカイブの数々である。武山さんが「東レ

でもここまでは出来ない」と述懐された。この項は次回以降に再述する。

3.同社「中興の祖」と云われる第6代の当主の時代に高純度アルカロイドの量産、販売

を始めたが、19世紀に既に「品質保証」を経営の柱にしたことで、図らずも内需、

輸出ともに大成長を遂げる。トヨタ自動車のようだ。

4.基礎研究(社史本では pure research )を重視し、そこから新規事業を築くのが得

意である。東レのようだ。100年も前から「液晶」を研究していた。メルク社の液

晶開発の歴史は次回以降に再度述べることとするが、19世紀末にドイツ語圏の大学で

液晶物質が発見され、液晶現象が解明されるや、その高純度サンプルを製造販売する一

方で、学会で論難、批判の総攻撃を受けて四面楚歌に遭っていた当該研究グループに採

算度外視で協力と支援をした。後の1966年になって、米国と日本で液晶の表示素子

が実用化されて、塩漬けになっていた研究資産が脚光を浴び、今では同社の戦略成長事

業に育っている。

5.製品自動倉庫を見学した。分厚いコンクリートの隔壁で細分化されている。「フラン

クフルト空港を発着する飛行機が、不運にもこの倉庫の上に墜落しても二次被害が拡

大しないように備えている」との説明を受けた。

6.自衛消防隊の基地を見学した。200人(?)の消防隊をシフト勤務させて24時間

カバーしている。化学消防車などの機材も充実している。

7.1966年に「世界最初の生物的工場排水処理設備」を完成(着手は1954年)し

たのが誇りである。

8.CSR、即ち企業としてステークホルダーに対してだけでなく、社会全体に対しても

「やるべきことは全てやった上で利益を充分にあげている」のである。

 

(以下次回)