2008.2.6

西村 三千男 記

 

連載「ドイツ化学史の旅・パート2のこぼれ話」

 

第11回 E.メルク社〜その4(液晶事始め・前編)

 

液晶表示装置(LCD)の「液晶」化合物の供給はドイツのE.メルク社と日本のチッ

ソ(株)が世界市場を二分して寡占している。それ以外の新規参入を狙うメーカーのシェ

アーはごく少ない。薄型TV、パソコンモニター、携帯電話等々現代の情報機器の枢要な

部品の中心を占める高機能材料がこの2社に寡占されていることは注目に値する。

 

この両社には液晶の研究開発に貢献した歴史的ドラマがある。物理化学や物理学の学会

側からの総説には産業界の貢献は記録されていない。そこで、E.メルク社の液晶の開発

史(The History of the Future)から同社サイドから見たドラマを抜粋して紹介する。

(1971年から始まるチッソ社のドラマの紹介は別の機会に譲る。)

 

 液晶現象の発見は、プラハ大学のオーストリア人植物学者ライニッツアーの実験〜観察

に始まる。彼は植物コレステロールの酢酸エステルと安息香酸エステルの融点を観察して

液晶現象に出会った。一方、アーヘンの結晶物理学者レーマンは偏光顕微鏡下で結晶融解

と液体の挙動を研究していた。ライニッツアーは自分の発見した液晶試料をレーマンに送

って詳細な検討を委託した。ライニッツアーは1888年に、レーマンは翌1889年に

それぞれ学会誌に論文を発表した。現象を「liquid crystals」、「crystalline liquid

(どちらもドイツ語を英訳)とネーミングしたが、当時の物理学の相転移理論とは相容れ

ず、斯界の重鎮たち(タンマンら)から「不純物の影響」「実験エラー」と論難された。

この論争は長年にわたり、レーマンは純度を再確認した試料で液晶現象の再現性を繰り返

して証明することになった。

 

 その頃(1904年)E.メルク社は化学実験用の高純度試薬や溶剤を販売していた。

レーマンはその価格表の中に液晶現象を呈する「オレイン酸メチルアンモニウム」などの

試薬名を発見した。タンマンらとの論争用として、純度を第三者が保証する「試薬液晶」

をE.メルク社から提供するように依頼した。E.メルク社はこれに応諾した。

 

(試薬名に「liquid crystals」を付加した1907年のメルク社の広告)

 

それより前に(1890年)レーマンの論文を読んだガッターマンは、自分が合成した

p-アゾキシアニソールが液晶現象を示すとレーマンに連絡した。「ネマチック nematic

液晶の元祖は我らがガッターマンであった。次の文献に、艸林(くさばやし)成和氏がガ

ッターマンに思い入れタップリの記述をしている文章を見かけた。

 

(季刊・化学総説「液晶の化学」、

日本化学会編、学会出版センター、1994年)p.4

 

(以下次回)