鳥と人間     4-19-3008    中村省一郎

 

最近のこと、ある待合室で時間つぶしに雑誌のページをめくっていたところ美しい鳥の写真に出くわした。頭がブルーで眉が鮮やかな黄色、首の下あたりから背中にかけて鶯色、腹はオレンジ色から渋い赤と、実に鮮やかでありながら調和の取れた彩りに目を見張った。そのページを通りすぎてからも何度か元へ戻ってながめ直したくらい美しかった。その後の時間が立つにつれ、鳥はなぜ「美しい」のだろうという疑問が強くなった。

 

人間は鳥を美しいと感じても、鳥を遠くから眺めるだけで密接な関係はないから、その進化には何の影響も与えることはなかったはずである。それなら、人間と同じように「調和」と「美」を認識するものが人間以外にいて、それが進化に影響を与えているのであろうか。そのような認識をするものがまったく存在しないのに鳥の色の「調和」と「美」が偶然に出来上がったとは考えにくい。

 

なぜならば、鳥の体というのは、羽の構造、羽毛の微細な形態、骨格、足、などすべての部分が、それぞれの種族にとって最適の設計になっていることが知られている。たとえば羽の構造と羽毛の微細な形態に関しては、最適であることが流体力学的に証明されている。なぜそのような最適な形に至ったかについては、自然淘汰の原理で説明されている。つまり、進化の過程で、最適な形から遠いものほど淘汰され、もっとも最適な形に近いものが、生物的に強く、子孫が多く残り、世代を繰り返すあいだに最適な形に完成されてきたと考えられる。

 

色の調和や美が、鳥の配偶者選びにおおきな影響を与えていると考えて間違いはないであろう。同じ種類の鳥でも個々に少しずつ違いがあり、鳥の配偶者選びはかなり慎重に時間をかけて行われることが知られている。そして、調和や美から外れたものは子孫を残しにくく淘汰されてゆく。

 

このような考え方が正しいとすれば、驚くべきことは、鳥たちの調和や美に関する感覚や認識が人間のと共通しているということである。さらに、「鳥の美しさを、もっとも強く意識しているのは、鳥たち自身である」、と言う結論になる。

 

考えてい見れば、美を感じるというのは、人間が学んで後天的に得た意識ではなく、先天的であり、非常に動物的で基本的な感覚である。一方、鳥と人間では、生活の仕方や、子供の育て方、親子夫婦近隣との関係など、複雑さにおいて極端な違いはあっても、基本的に共通したところが非常に多い。したがって、美に関する感覚が共通していてもさほど驚くことではないかもしれない。