2008.2.27

西村 三千男 記

 

書評 福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」(2007年5月、講談社現代新書)

 

著者は1959年生まれ、京大農学部1982年B卒、1987年Dr.で現職は青山学

院大学教授、専門は分子生物学。

ここ数年間に読んだ本の中で最も強いポジティブインパクトを受けた。ネット検索すると

この本には専門家の書評から無名の人のブログ書評に至るまで沢山出てくるが、私も敢えて

素朴な感想を綴ってみよう。

 

 本文は野口英世の業績の否定的な再評価から始まる。彼を千円紙幣の肖像画にしておくの

は恥ずかしいと述べて、返す刀で五千円札の樋口一葉も切り捨てた。

 ワトソンとクリックの「二重らせん」の世紀の発見にまつわる査読スキャンダルの解説は、

推理小説の謎解きのようにドラマチックに書かれている。

 

 茂木健一郎氏は著者を「希有の文才の持ち主」と評している。文章がうまいだけでなく、

比喩が美しくて分かり易いのである。アルツハイマー病のアミロイド蛋白前駆体とか狂牛病

のプリオンタンパク質の難解さも不可解なままに納得させてくれる。近時話題になることの

多い受精卵に由来するES細胞の意味あいも数ページの説明で明解になる。

 

 本書のハイライトは「生命は動的平衡にある流れである」という命題、そしてそれは著者

の研究テーマへとつながって行く。理系に限らぬ読者に動的平衡をイメージさせるために、

遠浅の砂浜、その水際に想定する「砂上の楼閣」の砂粒の入れ替わりで比喩する語り口は詩

的でさえある。重窒素をトレーサーにしてタンパク質の動的平衡を、重水素をトレーサーに

して脂肪の動的平衡を確認する先人の研究結果は化学を業とする者を肯かせる。著者の述べ

る研究テーマ、膵臓細胞由来のタンパク質GP2の機能仮説はノックアウトマウスによる実

験で完全に否定された。このネガティブ結果がこの分野の研究に重要な意義を持つようだ。

 

 遺伝子操作の研究に「PCR法」という手法がある。今日の、食品の真贋トレースや犯罪

捜査に役立つDNA鑑定にも使われる。画期的な方法で、発明者は1993年のノーベル化

学賞を受賞した。その原理と実際を僅か新書数ページの字数でストンと解るように説明して

いる。顧みると、私が電気化学の研究所長に就任した1989年、バイオの研究グループで

は遺伝子操作も日常的に研究に使われていた。月々のテーマ検討会や月報検討会では生まて

年月の浅いPCR法も繰り返し話題になった。新米所長はその原理を何とか理解しようと努

力した。一方で、研究員たちもバイオの基礎知識の貧弱な所長に、何とかして解らせようと

苦心したに違いない。生半可な、丸暗記のような理解であったのをいま思い出す。研究所長

に就く前に、この様な明晰明解な書物に出会いたかったといま切に思う。

 

(おわり)