2008.6.18

西村 三千男 記

 

再生医療のこぼれ話(武山さんの尻馬に乗って)〜その1

 

武山さんの「幹細胞・再生医療と応用化学との近い関係」を読んでiPS細胞からの話

題の広がりに感心している。再生医療は武山さんのフィールドであるが、ちょっと尻馬に

乗って、2回に分けて「再生医療のこぼれ話」を書いてみよう。

 

筏義人先生のこと

 

電気化学の総合研究所長であった時期に京大・筏義人教授から電化のヒアルロン酸のサ

ンプルをリクエストされたことがある。世間で入手できるサンプルの中で、電化のモノが

分子量が最も大きかったのである。筏先生は人工臓器の“足場材料”(武山さんの論評に

もこの珍しい用語が出て来る)に電化のヒアルロン酸を試したいとのご意向であった。筏

先生とは面識は無かったが、京大の同年であること、桜田研卒であること、医用高分子の

パイオニアであることなどを漠然と承知していた。交誼を結ぶ絶好のチャンスだと思い、

サンプルを持って訪問した。

 

 当時の手帳と名刺をチェックすると1990年12月7日となっている。筏研究室は医

学部の構内にあったと記憶するが、名刺の住所「左京区聖護院川原町53」と符合する。

名刺上の先生の所属は「京都大学生体医療工学研究センター」である。その年の3月に、

前身の「医用高分子研究センター」から発展的に改称されたばかりであった。武山さんが

書かれた「再生医科学研究所」の前身の、そのまた前身「医用高分子研究センター」がそ

もそもどのようにして生まれたか、その誕生の経緯を聞いた。

 

 「医用高分子研究センター」のこと

 

医学部側には、新規な治療法として生体適合性のポリマー材料を試験したい「ニーズ」

があった。工学部側に、生体適合性のポリマー材料を医療用に用途開発したい「シーズ」

があった。これを単純な共同研究体制で進めるよりも、医学部と工学部から統合された一

体的な研究チームを組織し、一本化した指揮命令系統で進める方が効率的になると考えら

れた。医学部の某有力教授と工学部の某有力教授(中島章夫教授?中島教授と筏教授は桜

田研の同門)とが「先見性に優れた」共同研究体制を作ることで合意された。附置研究所

としての予算が認められ、1980年に、取敢えず「医用高分子研究センター」は10年

の年限付きで発足した。京大では医学部も工学部も指揮命令系統に封建的な旧弊もある。

寄り合い所帯の組織内で教授〜助教授〜助手等の人的融和を図るにはどうするか?その合

意内容は「医学部と工学部とは対等である.交互に教授〜助教授を占める.」という単純明

快な、しかし古典的なものであった。

 

以上の記述は、不正確な点や思い違いがあるかも知れない・・と断っておこう。もしも

間違いがあれば、その日の筏先生のご説明を西村がその様に理解し、記憶しているという

ことであって、筏先生のご説明が間違いと言うことではない。

 

(つづく)