南フランスの町ベジエ

 

アメリカに住む私と昭子は、5月のある日の朝早くスペインのバルセロナ空港に着いた。今回の旅行では、後ほどバルセロナで過ごすことになって居たので、すぐに車を借りて、フランスに向けて走り出したのだが、かなり困難な出発となった。

 

BMWの中型の新車であるとこまではよかったが慣れない車で、アメリカの車とは操作が何から何まで異なり、走り出す前に一応は飲み込んだつもりだった。しかし、後ろの見にくい車で右後ろも左後ろさえバックミラーでないとみえなかったし、それに方向指示器の操作にしても、たとえば右曲がりの指示が必要なくなってもすぐに消えてくれず、消そうとすれば反対の方向への指示がでたり、もたもたしていたら、必要のないワイパーがうごきだして水が飛び出し、またそれをとめるの苦労している間に、高速道路に入ってしまった。ところが今度は道路標識がアメリカと違って、小さな字でしかかいてないので読めず、空港から高速道路に入るとごくわずかの距離の間に、フランス行きの道にはいらないといけないのに、遠い車線にいて、すぐに入れなかった。すぐに間違いに気がついたものの、そこへ引き返してやり直すのは不可能だった。というのは高速道路の次の出口で出て引き返すにも、アメリカのようにすぐに反対方向へ走り出すわけに行かない。いったん町の中に入って、そこでターンして、反対方向への入口をさがし、見つかればやっと入れる。いったん止まるとバックしなければならないことが多いが、手動の切り替えをバックに入れるのは、ものすごく力が要って容易ではなかった。バックはサイドミラーを見ながらでなければ出来ない。交差点のほとんどは信号がなく、円形のターンアバウトの構造になっていて、多くの車が次々と止まらずに入ってくる。いったん入れても、どこで出ればよいのか、標識を読みながら見つけるのは非常に困難であった。そのような、混乱と間違いと地図の見直しで、フランス行きの高速道路に入れるまで2時間も無駄にしてしまった。

 

スペインからフランスに入る高速道路はピレネー山の中を走っている。スペイン側の土は赤色なのにフランスに入ると白っぽくなる。国境から、南フランスの小都市であるベジエ(Bezier)までは一時間くらいであった。沿道の土地はごろごろした石が多く、農作物はすべて葡萄で、山間に風力発電の直径100メートルもある巨大なプロペラがいくつも回っているのが印象的であった。

 

最初の宿は、このベジエの町の少し北のB&B(ベッド アンド ブレックファスト)であった。今回の旅の宿屋はすべてB&Bを予約した。その理由は、B&Bは、城や大きな屋敷または中世の歴史的な建築物などを宿に仕替へたところが多く、ホテルとは全く趣が異なるからである。みな町の中心からはかなり遠いところなので、自動車旅行でなければ不便であろう。

 

ベジエのB&Bは中世以来20世紀半ばまで修道院だったところで、高い石の壁でかこまれた5~6エーカーはあるとおもわれる敷地の中の大きな建物で、庭はおおかた森であった。

 

客室の数は20くらいの、B&Bとしては非常に大きいほうだが、実際に泊まっている客の数は4~5組くらいであると思われた。夏の休暇にはすこし早すぎるのと、何といっても世界的な不況が大きく影響しているということであった。日本から来たのかと聞かれ、アメリカだと答えると、日本からもアメリカからもここへ来て泊まる人はほとんど居ないという。

 

ここで夕食を用意してくれというので、約束の時間に行ったら、大きな食堂に案内された。メニューから注文をきめた。前菜、一番目の料理、二番目の料理と運ばれてくるのだが、それぞれの中間にメニューには書いてなかったスープとか其の他の口直のような小物がはこばれてくる。そのなかの一つは、ガラス容器の中に果物ワインかブランデーがかかったかき氷が入っていて、食欲がぐっと増すように思われた。フランス料理の不思議は、味をどうして出しているのかわからないことが多いことである。デザートはサンプラーを呼ばれる小さなアイスクリーム、プリン、タルトなど6個くらいがのせられていた。どれもフランス式に珍しい果物と果樹酒がつかわれていて、ここならではの味とおもえた。

 

翌朝、朝食は別の食堂に用意されてあった。装飾品の壁掛けや置物が独特で、興味をひかれる。ひとり男性の老人が、新聞を読んでいた。なんとその老人が宿の装飾の担当者で、われわれの興味を見て取ったのか、別の広間も案内してくれた。どの作品も独特であったが、どこか必ず羽目をはずしてあって、その発想がおかしかった。

 

次の宿を予約してあるニースまでは、マルセーユを迂回して高速道路で3~4時間の道のりである。高速道路に入る前に、ベジエの中心街を通ると、大きな城がみえた。中世の村の多くは小高いところに作り、昔は城壁で囲んでいた。その中心には城があり、いざというときは、村人はみなそこへ逃げ込んだのである。ベジエには、そのような城を中心に、何世紀も前に立てられたに石作りの古い民家がのこされていて、城壁は取り去ったが、周りに近代的な建造物をたてて町を拡大していったのである。

 

ベジエの町を訪ねたのは始めてであったが、ベジエという名前には親しみがあった。というのはフランス人の数学者にベジエという人がいて、ルノー自動車会社の技師でもあった。この人はベジエ-スプラインという関数を発明し、自動車の曲線的なデザインを作るとき、まずは多角形でおおよその形を描いて、曲がり角の点の座標をベジエ-スプラインに入力するとなめらかな曲線的が出来上がる。詳細は筆者の10年くらい前に出版した本に書いてある。

 

そんな絵に描いたようなベジエを後にして、ニースに向かった。(6・1・09)