バッソデルグラッパ

 

素晴らしい朝食を用意してくれた宿の夫妻には丁重に礼を言って、いとまを告げた。その日の行き先は、ヴェニスのまだ北のバッソデルグラッパという町であった。目当ては、その名の示すように、そこがグラッパ酒の中心になっていたからである。グラッパの蒸留所見学と、グラッパ酒博物館に行きたかった。

 

その町の近くまで来て見ると、もって来た地図には細かい道がぜんぜん書いてなく、予約しておいた宿に着くことは不可能に思えたが、近くで車を止めていた人に問い合わせたら、その人が車で先導して、宿の門前まで連れて行ってくれた。

 

建物は比較的新しい二階建ての一軒家で、30歳くらいの男が宿の主であった。英語がひどく下手で、殆ど何も自分からは表現できなかったが、こちらの言うことは大体わかってくれた。大きな庭ではなかったが、キウイの木や、エスカルゴを飼っているのが珍しかった。「キウイの木には雌雄の木を一緒に植えておかないと実がならないから2本植えてありますか」、と聞いてみたが、父親は良く知っているが自分は植物のことが良くわからない、というようなことを言っていた。よく見ると、実がなっていて、雌雄一本ずつ植わっていた。

 

グラッパの蒸留所とグラッパ酒博物館のことを聞いたが、彼はなにも知らないと答えた。サンドナトでもいわれたように、土曜日なのでグラッパの蒸留所見学は、もし場所がわかったとしても、閉まっていてだめのようであった。この辺りの人たちは英語は殆ど話さないし、よほど前もって連絡をつけておかなければ、いきなり見学といっても、どうにも取り付く島がなかった。

 

この宿においてあった地図をみていると、すぐ横の道は、グラッパ山へ登り口になっていた。この山はアルプス山脈の最南端の比較的低い山であるが、標高は1775mである。上まで行けば見晴らしの良いところへ出るだろうと思って登っていった。車で30分もぐねぐねした道を上って行くと、アルプスの中に着たかのような風景に変わる。まだ雪が残っており、平地では3月頃に咲くクロッカスが一面に咲いていた。この山は上昇気流が強いことで有名らしい。そのため、パラグライダーと呼ばれるグライダーのはねのようなパラシュートを広げると、たちまち空へ舞い上がってしまう。その時もいくつかのパラグライダーがこの山の斜面から舞い上がり、空を旋回していた。下降気味になれば上昇気流にのってまた上昇し、何時間でも飛んでいられるのである。

 

昭子が「私も飛びたいわ」と器具さえ借りられたら今すぐにでも飛び立ちそうなことを言う。

 

山を降りて宿に帰るともう5時をすぎていた。グラッパ蒸留所見学と調査が目的であったのに、これもまったくの失敗に終わってしまった。しかし、もともと知らぬ土地で半日足らずでそれをやろうとしたことに無理がある。この次ゆっくり日を取って、またくればよい。そのときは、サンドナトの宿の旦那も協力してくれるだろう。

 

一休みして夕食にでかけた。知らない町だから、あてがあったわけではなかった。しかし、ふと通りかかった建物がどうも料理屋のようで、しかも台所らしき窓からシェフの帽子が見えるではないか。しかし門が開いていないので、垣根越しにその料理人に、ここはレストランか、と声をかけたら、一時間しないと開かないという。一時間なら待つからといったら、若い女が出てきて門を開けでくれた。中の庭は思ったより美しく、置物がおもしろい。

 

一時間待たされると思ったが二十分もしたらメニューを持ってきて、もうオーダーしても良いという。そこで飲み物とデザート以外は一人分のコースを二人で分けるからと、皿を余計に頼んだ。こんな頼み方をしたのは初めてであったが、二人分だと、残すか食べ過ぎるかのどちらかで、半分くらいで丁度よかったし、すぐに納得してくれた。このレストランはイタリア風ではなく、むしろフランス風の料理であった。一夜前のサンドナトほどではなかったが、かなり塩が多かった。これら何度かの経験で、フランスに比べるとイタリアでは塩の入れすぎた食べ物を食べていることが明らかになってきた。そう思うと、フィレンツェの料理学校へ行きそこなったのもそれほど惜しいことではなかったのかもしれないという気にもなった。

 

グラッパを調べにゆくと友人たちに言ってきたのに、イタリアまで行って土曜日だから何も出来なかったとは話しにくい。それでも、宿の傍に酒店があってグラッパの棚を見ることができた。それで、レッテルを読んだり、また自分でも買い求めて味見をした結果、もう少し事情がわかってきた。

 

グラッパとは葡萄を発酵させてぶどう酒を絞った後の皮や種を捨てないで、砂糖をくわえ放置しておくと、またアルコールができる。それを蒸留したのがグラッパである。だから、味は全く異なるが、粕取り焼酎とも話が似ている。サンドナトの宿の旦那の話によれば、勝手に蒸留をすることは違法であるが、ぶどう酒をつくる農家の大半はその密造蒸留をやっているという。素人の蒸留器でもよいから見たかったが、よほど親しくならない限りそのような器具はみせてくれないだろう。うっかり見せて、その人が税務署の調査員だったらとんだ目になるからである。日本人だからと言って、イタリア税務曲の検察官でない保証はないと誰もが考えるだろうと思うと可笑しかった。

 

一方グラッパに関するイタリアの業者の傾向としては、グラッパを長年熟成させることにより、フランスのコニャックの対抗できるものを開発する努力をしているらしい。税務署に見つからぬよう土に埋めておいて、何年か忘れている間にすごく上等のグラッパができたなどという話がある。店で探した限りでは、熟成により優れた味に作り上げたグラッパは見つからず、たいがいは薬草などで香りや味を加えたものばかりであった。

雌のキウィの木

雄のキウィの木