ニース

 

出せるだけの高速で走ったのでニースまではあまり時間がかからなかった。ニースはモナコとカンヌに挟まれた有名な観光地で、モナコとカンヌはそれぞれ車で20分くらいの距離である。ニースに来たのはこれで二度目であるが、一度目は1963年の11月、ケネデイ大統領が暗殺された直後であった。そのときはニースの空港まで飛行機で来て、鉄道の駅までタクシーに乗った。時間が数時間あったので、海岸にいって水泳している観光客を眺めた後、山のほうに登った覚えがある。海岸と山に挟まれた平地は数キロメートルしかなく、その当時は海岸沿いに大きなホテルが並んでいる以外は家もまばらであった。

 

今回来て見て、ニースはすっかり変わっていた。当時ののんびりした駅は高架の上になり、人家と店、学校、ホテルなどが密集していて、海岸のホテル街以外は何も見分けがつかなかった。昔登った覚えのある山の上から少し裏側に高速道路が走っていた。高速道路からでてB&Bの近くまで来るのには手間がかからなかったのだが、そのB&Bのある道がどうしてもみつからなかったので、その道の始まる所を何度も通り過ぎていた。というのは道がせまいうえ、ぎっしりパークしていてこちらが止まれるところがみつからなかったし、ちょっとでも止まろうものなら、うしろに車が溜まり、ゆっくり標識を眺める暇がなかった。ようやくの思いで、人に尋ねることができてみると、探していた道は私道で、標識はその道をはいったずっと中にたっていた。

 

やっとの思いで宿にたどり着き、一服したらもう夕方で、食事にでかけなければならない。ニースは芸術家の集まる町でもある。そのためか美術館が多い。東に20分ほど車で行けばモンテカルロ、西に同じくらいゆけばカンヌ、行きたければ、モンテカルロの歌劇場やカジノも近いし、またカンヌでは映画祭の最中でもあった。しかしそんなところを探索するにはあまりにも時間がなさすぎたので、この次に来たときのためとっておくことにした。

 

宿の女主人は英国人で英語で話せるのが有難い。その人の推薦で、夕食は繁華街の小料理屋で食べることにした。電車に乗ってほんの10分。しかし、電車が止まりかけの非常に遅い速度ではあったのに、急停車して、床に転倒してしまい、右腕をひとく痛くしてしまった。床に座り込んでうめいていたら、何人もの乗客がやってきて、「大丈夫か、筋肉が痛いか」などとフランス語で言ってくれるのがよくわかった。日本ではこんなときだれもが知らぬふりをするのが礼儀と心得ているようだ。

 

繁華街の小料理屋はフランス料理店ではあったがアラブ人の経営で、英語もよく話した。オリブオイルの味見をさせるのを得意とし、いくつも異なるビンを持ってきて、サラダにかけたり、皿の端にたらしたりして、「これはアーモンドのような味のするオリブオイルです」とか説明がつく。その中にこんなのがあった。「雨の降っているとき森に入ったことがありますか。ひんやりと湿った空気のなかで、ふとキノコの匂いをかいだ思出があるでしょう。このオリブオイルはそんな記憶を思い起こすような味がします」。実際にはそんな味はしなかった。しかし、あまりにも旨いこと説明するので、おかしくて噴出してしまった。

 

翌朝の朝食は、英国からの旅行客夫妻と同席であった。その人たちと話をしながらゆっくりと朝食をした。その話の中で、ニースとカンヌはもともとイタリアに属していたという。だから、この地方の地名や、また食べ物さえ、イタリア風のものと差がないことが多いという。

 

朝食をすませたあと、宿をあとにし、すぐに高速道路にはいった。このあたりの高速道路はトンネルが多い。その山の表側つまり海側には、ぐねぐね折れ曲がった景色のよい、しかし断崖絶壁の上を通る道がいくつかある。元女優でモナコ王妃になったグレースケリーはそのような道を自分で運転していて断崖から落ちて亡くなったのである。