2009. 1.25

西村 三千男 記

 

連載「ドイツ化学史の旅・パート2のこぼれ話」

 

第21回 ハイデルベルクのクリスマス

 

今回の旅行は、自分で決めた日程ではあるが、選りに選ってクリスマスイブにドイツに

入るのだ。ドイツやオランダの古い友人達は皆、それぞれの家庭で静かにクリスマスを迎

えているだろう。それをディスターブしてはいけないので、デュッセルドルフ、ラーティ

ンゲン、エッセンなどを避ける計画となった。旧友たちには出発前にメールでその旨を伝

えておいた。

 

先ず、ハイデルベルクで2泊したが、原案はフランクフルトで乗り継いでミュンヘンへ

行き、そこで2泊することであった。ところが、フランクフルトの乗り継ぎの待ち時間が

4時間と長く、フランクフルト空港でクリスマスイブの夕食を過ごすことになる。周知の

通り、フランクフルト空港のレストランは雰囲気も品質も格別に劣悪である。プラン決定

の際に、同道する次男や家内と相談して、ハイデルベルクに変更したのであった。

 

 この日の全日空B747のビジネスクラス1階席はがら空きで、我々親子3人の他は2

名だけであった。フライトは約30分早く到着し、荷物の受取も早かった。フランクフル

ト空港〜ハイデルベルク間は、ドイツ鉄道DBの特急ICEからマンハイムでSバーンに

乗り換えて合計で1時間弱である。ハイデルベルクのホテルには予定より早く18時前に

チェックイン。チェックインして直ぐに、ドイツの旧友たちに電話でクリスマスの挨拶を

届けた。

 

 ドイツでは、殆ど誰でもが家庭でクリスマスイブを過ごす。街のレストランは営業して

も客が来ないので、中華レストランでさえ休業することが多い。私たちは、出発前にホテ

ルのレストランでクリスマスディナーを予約しておいたが、正解であった。料理はクリス

マス(お仕着せ)限定メニューであった。この特別な日に、キッチンやレストランで働く

スタッフの人数を最少にするためだろう。けれど、心配していた料理の量は過大で無く、

質も申し分なかった。

 

 翌日は、先ず古城観光。12月25日、クリスマス祝日であるが、この日も入城出来る

ことを、日本を出る前に予め確認しておいた。実際には入場券売り場は閉鎖されていた。

古城は平常通り開放されていて無料で歓迎されたことになる。ひょっとすると、10数年

前に長男が結婚式を挙げた古城内の教会で、クリスマス・ミサが行われているかも・・・

と確かめてみたが、入り口の扉は施錠されていた。城内には、観光客らしいドイツ人も外

国人も大勢いた。大樽の地下室ではアイスワインの試飲キャンペーンが催されていた。城

山から降りるケーブルカーBerg-Bahn も通常運転されていた。

 

 ケーブルカーでハウプト通りへ降りた。当年とって38才の次男が、子供料金と扱われ

たのには本当に驚いた。小雨の降る中、ハウプト通りには観光客がゾロゾロ歩いていた。

彼らの話している言葉はドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア

語、日本語等々国際色豊かであった。ショッピングのお店は全休していたが、レストラン

等の飲食店は40%位が開いていた。2005年の旅でランチをとった「ローテン・オク

セン」は閉店していた。ハウプト通り散策中にイメージだけで選定して入ったビアーレス

トランには、日本語のメニューも備えていた。寒い日ではあったけれど、ここで飲んだヴ

ァイツェン・ビアーは次男も絶賛する秀逸な味であった。

 

 記憶と地図を頼りに、長男の結婚式の時のホテル Europaeische Hof Heidelberg を探し

あてた。往年の式の前日、そこに関係者が集合し、宿泊し、前夜祭を行った。このことを

HP2002年号に紹介している。

 我が追憶のハイデルベルク、そしてドイツ  第2話 長男の結婚式

 

その式には出席しなかった次男に、彼の兄の結婚式の思い出を語りつつ、そこの超リッチ

なロビーラウンジで、ハイデルベルクの午後のコーヒーを楽しんだ。

 

                                                           (以下次回)