2009.4.10

西村 三千男 記

 

連載「ドイツ化学史の旅・パート2のこぼれ話」

 

第23回 E.メルク社〜その6(社史に見るガストアルバイター)

 

100年に一度の大不況の中、世界各地で外国人労働者の解雇が社会問題化している。

スペインでは、住宅バブルの崩壊に伴ってアフリカ系建設労働者が多数解雇され、帰国を

迫られている。シンガポールではバングラディッシュ人等の労働者の解雇〜帰国が粛々と

進められている。英国やアイルランドでは今回の経済危機の影響が特に大きく、同様の社

会問題が深刻化している。日本では、日系ブラジル人等の外国人失業者が局地的に大量に

発生している。収入が途絶えて生活に困窮し、帰国しようにも旅費の蓄えがない人には帰

国旅費を貸し付ける公的支援が始まっている。ドイツは、その高賃金を目指してポーラン

ド等東欧諸国やトルコから大量の労働者が流入しているが、彼らは今次の不況で失業者群

となっている。手厚かったドイツの失業者手当は、ついに維持するのが困難となっている

と伝えられる。

 

周知の通り、ドイツにとって外国人労働者問題は「古くて新しいイシュー」である。外

国人労働者をドイツ語でガストアルバイター(Gastarbeiters = Guest workers)と云

う。昨年、当HPにE.メルク社の社史を紹介した。その戦後復興編 (1945-1965)には、

当時の同社及びドイツ経済界でガストアルバイターが果たした役割を詳しく述べている。

1960年当時の「液体製品荷造り作業中のイタリア人労働者」の写真と「給料支払いを

受け取る外国人労働者」の写真を掲載し、本文では、以下のように記述している。

Was der Mensch thun kann...(What people can do...) p.130-131

 

朝鮮動乱が終了した1953年から10数年の間、ドイツ経済の繁栄が間断無く続き、

メルク社の業績も年率15%にも及ぶ高率で拡大した。その結果、メルク社でも、ドイツ

経済界全体でも、熟練労働者が大幅に不足した。自動化や効率化を進めても、なお不足す

る部分は外国人労働者導入を増加することで埋め合わせた。特に旧西ドイツのこの時代の

ことを「奇跡的経済復興」(Wirtschaftswunder = Economic miracle)と呼んでいる。

後に首相になるエアハルト経済相(Ludwig Erhart)が提唱した社会市場経済政策の成功に

より、奇跡の繁栄を実現した時代である。

 

 ドイツの奇跡的経済復興が一旦終息したのは1966年のことであった。私がデュッセ

ルドルフ駐在を始めた1965年10月は、丁度この曲がり角の時期に当たる。景気後退

に伴って、ガストアルバイターが社会問題化し、労働をしないのが建前の我々外国人駐在

員にも、滞在許可取得などで間接的に影響を受け始めていた。当時のガストアルバイター

はイタリア、スペイン、ギリシャ、トルコなどが主流であった。ラジオ放送の夕刻ゴール

デンタイムに彼ら向けに母国語放送(Funk aus Heimaten、曜日によってイタリア語、ス

ペイン語、ギリシャ語等々日替わり)が流れていた。このガストアルバイターとは少々趣き

が異なるが、例えば病院看護婦のような専門職には日本人や韓国人の女性も多数渡来して

いた。日本の今日的状況を見れば容易に想像できることであるが、ガストアルバイターに

は自国労働者とは全く異なる問題も生ずる。例えば、病気治療を目的に、病気を隠して入

国するケースである。いずれかに就職し、ドイツの充実した健康保険を使って病気を治し

て、帰国するような事案も頻発していたらしい。

 

 E.メルク社の社史とは離れるが、ドイツのガストアルバイターを巡る社会問題は連綿

と続いている。1970年代後半の石油危機後の景気後退による失業問題、1990年の

東西ドイツが再統一した後の東ドイツ労働者の流入による失業問題、21世紀になってネ

オナチ系スキンヘッドによるガストアルバイター襲撃事件の多発などなど話題は多い。

 

(以下次回)