2.黒パン

 

子供のとき旧満州の新京(現在長春)で10歳までをすごしたが、当時白系ロシア人が経営する食料品店があって、親が時々黒パン、ロシア漬けのキュウリや、チーズを買ってきて食べさせてくれた。ロシア人の黒パンというのは黒というよりはむしろねずみ色で、少しねっとりとしていて、特有の香りがあった。

 

その後アメリカに住むようになって、また黒パンに接するようになったが、アメリカにも黒パンの種類は多いものの、旨いのはジューイッシュライブレッドといわれ、キャラウェイの入った少し茶色がかった色のパンである。パンパーニッケルとよばれる真っ黒のパンもあるが、これはどうもまがい物のようで感心しない。

 

ところが、学会でドイツのアーヘンに行ったときにホテルで何度か食べた黒パンの味が忘れられない。真っ黒で、ライ麦特有の香りと、酸味と、焦たにおいもあり、それでいて非常に調和があった。いまなら、自然発酵(サワードー)に関する知識もあるし、その地にいる間に聞いて回るという知恵もあるのだが、現役時代、学会に出席した最中に食べ物のことを調べるために時間を割くなどの余裕は全くなかった。そういうわけで昔の味の経験の分析と情報収集を今やっているわけである。

 

インターネットでGerman Rye Breadというキーワードで検索すると無数のレセピがでてくる。これらを丹念に見てゆくと、大半はインスタントコーヒーあるいは砂糖の入れていないココア、または両方を用いていて、イーストには市販のものを用い、ほとんどのレセピで天然のイーストは用いていない。しかし、これでは本物の黒パンの味は出ないだろう。

 

市販のパン用のイーストはパスツールがばい菌を発見した直後に開発された。もちろんパスツールの発見と大きな関係がある。パン用のイーストはSaccharomyces cerevisiaeという学名の細菌で、ぶどう酒やビール、また日本酒発酵のための酵母など、全部Saccharomyces cerevisiaeに属している。しかし、この中にもわずかに性質の異なる種類は多く、たとえば同じワインでもシャンペン用、シャドネ、デザートワインでは、それぞれ専用のイーストが開発されている。もちろん基本的な性質はみな非常に似ていて、日本酒発酵やぶどう酒用のイーストでパンを造ることも可能であるし、パン用のイーストで酒を作ることもできるが、出来上がりの香りやきめの細かさが異なり、また酸性度や生地に含まれるアミラーゼの種類や量の影響が異なる。

 

自然イーストというのは、水と小麦粉(望ましくは未漂白かライ麦粉)をまぜて3日も放置すればブクブク泡が立ち始める。これを自然イースト、また小麦粉に加えて練ったものをサワードーと呼ぶ。自然イーストをサワードースターターと呼ぶこともある。自然イーストは、20種くらいの空中や小麦粉に含まれるバイ菌の集合体である。

 

人類の有史以来、市販のパン用のイーストが開発されるまでは、パン焼はすべて自然イーストを用いていた。しかし、市販のパン用のイーストのほうが便利なため、ヨーロッパのパン屋はたちまち自然イーストをやめ、市販のパン用のイーストに切り替えてしまった。

 

ところが、自然イーストでないと出ない味があって、ごく少数のパン屋と愛好者が今も自然イーストを用いている。

 

さて。レセピの検索に戻るが、多数の中に伝統的なドイツの黒パンの作り方というのがあった。そのレセピでは自然イーストを用い、コヒーやココアは入れず、焼き方が非常に独特である。それはオブンの温度を250F(通常は350F)にして16~24時間かけて焼くという。色は黒くなり、コヒーかココアのような香りがでるという。それが、筆者のさがしている黒パンかもしれない。

 

Soulful German Farmhouse Rye

(旨そうだが、この写真が本物のかどうかは分からない)

 

中村省一郎  11-3-09