洛禎OB会(その2) 京大工化系学科創設事情 
 
 鶴田先生は冒頭に「私は、京大工化系のOBであることにいつも喜びを感じています。皆さんもそうであろうと思います。・・・・」と切り出され、京大工化系学科創設事情について、次のような講話がありました。概要を以下に述べます。なお、京大の源流については、藤田英夫著『大阪舍密局の史的展開 京都大学の源流』(1995)という成書に詳しく解説されているとのこと。 
 
 京都大学の設立は明治30年(1897年)で、東京大学に遅れること20年であるが、「大阪舍密局以来の伝統を負う第三高等学校の施設を校舎もろとも引き継いだ」といわれており、制度的には確かに20年の開きがあるが、化学系の歴史に関するかぎりはほぼ同じと考えてもよい。以下の注を参照のこと。 
 
注)大阪舍密局(明治2年、1869年)ーーー大阪開成所(明治3年、1870年)ーーー大阪開明学校(明治6年、1873年)ーーー第三高等中学校(明治19年、1886年)ーーー(京都へ移転)ーーー第三高等学校設置(明治27年、1894年)ーーー三高(大学予科新設、明治30年、1897年)ーーー京都帝国大学設立(明治30年、1897年)ーーー京都帝国大学理工科大学開設(明治30年)ーーー理科大学と工科大学に分科(大正3年、1914年) 
 
 明治30年(1897年)に設立された当時の工学系は土木工学と機械工学だけであり、翌年の明治31年に化学系4講座が編成された。第一講座(理論及び無機化学)、第二講座(有機化学)、第三講座(有機製造化学)、第四講座(無機製造化学)。第三講座(有機製造化学)の担当が吉田彦六郎教授。それ以降、第三講座といえば「有機製造化学」であり、脈々としてその伝統が引き継がれた。 
 
 明治33年に第五講座(吉川亀次郎教授、電気化学)、明治41年に第六講座(近重真澄教授、金相学)が増設された。 
 
 第五代総長 澤柳政太郎の在任中、大正28月に澤柳事件があり、7教授が免職し、このうちの2名が、吉田彦六郎と吉川亀次郎であり、大きな衝撃を受けた。ただし、澤柳事件の真相は未だによくわからない。 
 
 大正3年、理科大学と工科大学に分離されたときの工科大学の工業化学科は4講座。第一講座(無機製造化学)、第二講座(電気化学)、第三講座(有機製造化学)、第四講座(醗酵工学、石炭瓦斯工学)。 
 
 大正76月に第五講座(油脂、人造繊維、合成石油。喜多源逸、大正10年に教授)、大正86月に第六講座(写真化学、宮田道雄、大正13年に教授)、大正115月に化学機械講座(講座番号は付かない。亀井三郎、昭和5年に教授)などが増設された。 
 
 その後、昭和14年に燃化、昭和15年に化機、昭和16年に繊化が順次設立された。 
 
 次回は「吉田彦六郎の業績」について。 
 
********************************** 
 
伊藤 一男   9-25-09