関連資料-沢柳政太郎

 

沢柳政太郎 / 京都帝大総長として独断的な人事を行ったことが法科教授会の反発を呼び起こし、事件のきっかけとなった。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9F%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

: [19137月、文部省の任命で就任して2ヵ月になったばかりの沢柳政太郎京都帝国大学総長は、教学の刷新を標榜して7教授(医科大学1名、理工科大学5名、文科大学1名)に辞表を提出させ8月に免官を発令した。このなかには、かねてから学内自治を主張していた谷本富文科大学(現・京大文学部)教授(教育学)が含まれていた。

7教授罷免に際して京都帝大法科大学(現・京大法学部)の教授・助教授たちは仁保亀松学長(現在の学部長)を中心に結束し、教授の人事権は教授会にありと主張した。これに対し沢柳総長は、教授の地位を保つのはその実であって制度的保障はなく、また現行制度においても教授の任免に教授会の同意は必要でないと反論した。

総長と法科の対立は激化し、翌19141月になって法科教授・助教授は抗議の連帯辞職を敢行し、学生たちも教官を支持した。東大法科の首脳は京大法科を支持、当時の奥田義人文相も「教授ノ任免ニ付テハ総長カ職権ノ運用上教授会ト協定スルハ差支ナク且ツ妥当ナリ」と京大法科を支持したため教官たちは辞表を撤回した。このため同年4月、進退窮まった沢柳総長は辞職に追い込まれた(後任総長は山川健次郎東京帝大総長が兼任した)。]

http://hensan.archives.tohoku.ac.jp/news/kiji9.htm [初代総長澤柳政太郎は、日本の教育に果たした役割はあまりにも大きい。本稿では、彼の「実学」観に関係するいくつかの歴史的事実を紹介したい。.]

 

関連情報

滝川事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6