2009.9.22

西村 三千男 記

左側通行と右側通行

 

日本では道路(自動車)も鉄道も左側通行である。島国の英国も同様である。一方で

ドイツ、オランダ、ロシア、アメリカは道路も鉄道も右側通行である。中には道路は右

側、鉄道は左側と紛らわしい国もある。イタリア、フランスがその例である。左側通行

〜右側通行の異なる国の間の国境では左右が交錯する。日本や英国のような島国では問

題ないが、陸続きの国境では混乱を避ける工夫が必要となる。例えばロータリーとか特

殊なループ橋がそれである。右側通行〜左側通行をネット検索すると、実に複雑なこと

になっている。

 

スウェーデンの場合

スウェーデンは、1967年以前は日本や英国と同じく左側通行であった。私がデュ

ッセルドルフに駐在していた時期(1967年9月)に、全国一斉に左側通行から右側

に切り替えた。その歴史的なイベントを身近に見聞した。スウェーデンはノルウェー、

フィンランド等の隣国とは陸続きであり、国境では左右が交錯していた。

 

ビジネスパートナーH氏の解説

当時、スウェーデンは電化クロロプレン市場開発の重点地域であり、デュッセルドル

フから出張する機会が多かった。ストックホルムに代理店K社があり、そこの社長H氏

とはオフビジネスでも昵懇にしていた。その頃、スウェーデンはEUの前身EECでは

なく、それに拮抗する勢力のEFTA連合に所属していた(脚注参照)。H氏はEFT

A支部の役職者であることを誇りに思うインテリだった。私の貧弱なビジネス知識や英

会話力をちょくちょく手直ししてくれる存在でもあった。そのH氏から、左右切り替え

の一大イベントの詳細を解説された。

 

切替の最大の理由は何?

人口が少なく自動車の交通量も少ないスウェーデンにとって、隣国との国境における

左右の混乱は大きな問題ではなかった。当時、スウェーデンの誇る乗用車の名車ボルボ

とサーブは有力な輸出製品であった。輸出先の多くが左ハンドル仕様であるのに対し、

僅かな国内用のために右ハンドル仕様を生産するのは効率が悪いと思われていた。英米

式の効率優先が信条のH氏はこの理由を第1に挙げていた。長期に亘り、多くの問題点

の得失につき国民的議論を重ねた末の結論であった。

 

一日で切替る工夫は?

 あの広い国土に人口僅か9百万人強である。極度に低い人口密度の中で、道路交通の

左右を一日で切替るにはどんな工夫をしたか?道路標識や信号機などのハードは全て新

旧ダブルで設置し、切り替え前は「新」に袋カバーをかけ、切り替え時にそのカバーを

一斉に「旧」にかけ替えた。作業には小学生まで動員して手伝わせた。それは「意識付

け」のPRにも役立った。 

 

切替コストで最大のものは何?

H氏から「切替コストで最大は何?」とクイズされた。「高速道路のインターチェン

ジか?」「否、入口と出口を振替れば済む」「???」・・・正解はバスであった。国

中の全てのバスを左ハンドル、右側乗降口式に一斉に更新した。因みにトラックは一斉

には更新しなかった。

 

イタリア、フランスの場合

フランス鉄道が左側通行であるから、英仏海峡のユーロトンネルを通り抜けるユーロ

スターは双方向で終始、左側通行とシンプルである。

フランス、イタリアでは鉄道は左側通行とはいえ、路面電車は右側通行になる。道路

で自動車と並走するためである。地下鉄や一般電鉄と路面電車が相互乗り入れする接続

点では、複雑な仕組みがあるそうだが、この目で現実に見たことはない。フランスでは

「単線並列」と称して、複線の線路の両方を一時的に同一方向に走行することで繁閑を

調節することもあるという。

 

航空機に左側から搭乗するするのは何故?

船と飛行機は国際法で右側通行と定められているらしい。

ところで、飛行機には概ね左側から搭乗する。地方空港などでボーディングブリッジ

の遣り繰りのために稀には右側から搭乗することもあるが、このような例外は多分1%

以下であろう。何故左側か?その理由は船の習慣に倣ったということらしい。では、船

に乗り込むのは原則的に左舷側からとなっているのは何故か?諸説ある。次々と遡及し

て行くと、乗馬らしい。乗馬では通常、馬の左側から乗る。左腰には大刀や長剣を差し

ているから、馬の左側からの方が乗り易いのである。

 

POSHとは?

Port Out Starboard Home の省略語。船、海事にご縁のある人々にはよく知られた用

語だという。単語の意味は、Port は船の左舷、Starboard は船の右舷であるが、ここ

では Port は左舷側の席を、Starboard は右舷側の席を表している。フレーズ全体の意

味は大型の辞書に記載されているし、ネット検索でも容易にわかる。ここでは、敢えて

転記するのを止めよう。

 

脚注:

当時のEFTAは英国、北欧諸国などを含む錚々たる7カ国からなっていた。

現在の4ヵ国に縮小したEFTAではなく、EECと拮抗する勢力があった。

その辺の事情は本シリーズの「第3話 EUはイタリア語ではUE」に既述。

<http://isomers.ismr.us/isomers2007/italiano703.htm>

 

(おわり)