クラウシウス

 

クラウシウス(Rudolf Julius Emanuel Clausius)はボン大学の著名教授の中に名を連ねている。

 

彼は1822年に生まれ、1844年に数学と物理を学んだベルリン大学を卒業した。1847年に、地球の大気が光に及ぼす影響について論文を書き、博士号を得た。1855年にベルリン大学にてPrivatdozent(正教授の資格)を得、ズーリッヒ、ウールツベルグなどの大学で教授を勤めた後、1869年にボン大学に就任した。クラウシウスは生涯にわたって熱力学の研究に集中した。

 

まずエネルギー保存と矛盾するカルノーサイクルを書き直した(注)。さらに、エントロピーの数学的な定義を行った。ガス運動モデルに分子の直線進行、回転、振動を導入し、また平均飛行距離を導入した。また、クラペイロンにより導かれていた二相間転移の関係を、熱力学の見地から導きなおしクラウシウス-クラペイロンの式を導いた。

 

1870年にナポレオン3世とペルシャの戦争の際、傷病兵救助隊を自ら組織し戦場に参加したが、不幸にして彼自身不治の傷を負った。1875年に妻が出産で死亡、残された6人の子供を育てるため、研究の時間がなくなった。

 

1888年死去。

 

 

 

19世紀の熱力学第一、第二法則の書き方は、現代のとはかなり違っていた。またカルノーサイクルについても、現代の教科書で学ぶと矛盾は見あたらないが、カルノーが最初に作ったモデルには不備な点があったらしい。しかしその詳細はカルノーの論文の原文を読まないと分からないようである。