コペンハーゲンの夏

池の畔

武山 文子

 

《アイソマーズ・ドイツ化学史の旅3》はコペンハーゲンから始まった。高福祉・白夜・グッドデザイン家具などの言葉が浮かぶ。
 五組の夫婦十人の旅慣れた仲間は、思い思いのコースを取って、三日後にケルン大聖堂の前で集合する予定だ。この地では、さんご夫妻との四人で過ごすことになった。十階建ての、箱のようなスカンディック・コペンハーゲンホテルに二泊した。
 三階の部屋から見ると、道路の向こうには池が広がり、眺めはとても良い。歓迎の国旗も風にはためいているが、日の丸はなかった。ホテルの床が木張りなのが珍しく、素足で歩くと気持ちが良い。洗面所には石鹸もシャンプーもなく、むしろシンプルが心地良くも感じられた。
 人は肌をできるだけ露出して、長い冬のために、夏の太陽を貯金しているようだ。弾けるように笑顔が明るい。

 コペンハーゲンは自転車専用道路が広く、みんなかなりのスピードを出して走っている。旅行案内書には〈自転車で、どこでも行ける街〉と書いてある。夫は二十クローネコインを入れる貸し自転車の駐輪場をホテル横に見つけた。スポークのない黄色い車輪で、とても大きく重たそうな自転車だった。
 北欧人は、概して背が高い。日本人の夫は、短足の悲しさで、サドルをいっぱいに下げても足がやっと地に届く高さだ。ハンドブレーキはなく、足の操作で止まるので、慣れないと、とても危ない。よろよろしながら、その辺をひとまわりしてきたと言う。
 私もトライしたが、すぐに転倒した。旅先での怪我は大変なことになるので、Iさん夫妻と四人での自転車による市内巡りは諦めることにした。

 

 緯度の高い北欧の夏の陽は、午後九時になっても沈まない。長い黄昏どきをどのように過ごすのだろう。夕方、池の周囲を散歩してみることにした。
 ポニーテイルを揺らしながら、ランニングシャツに短パンで走る女性。赤いTシャツにスエットパンツの男性は、もうなんど回っていることだろうか。大型犬を連れた金髪の青年も颯爽と走っていた。
 歩いて一周すると三十分くらいだろう。池の中では、二羽の白鳥が灰色の産毛も柔らかい雛を、羽の下に隠したり出したりしながら泳いでいた。醜い家鴨の子ではない。もう小さいながらも優雅に振る舞って、人にはよく慣れているようである。鴨もたくさんいる。岸辺には葦の繁ったところがあり、ガサガサと音がすると、バンの親子連れが整列して出てきた。ふと見ると、台座のようになったところに灰色の七~八㌢ぐらいの卵が一個乗っていた。これは白鳥の卵に違いない。泳いでいる雛の孵化しなかった兄弟なのだろう。
 ほぼ一周して、ホテルの窓から左手に見えていた丸いドームのような建物に近づいてきた。看板をよく見るとプラネタリュームだった。裏手が池に面したカフェになっていた。コーヒーを飲み、噴水の上がる水面を眺めながら、夫と人物ウオッチングに。

 

 道端のコンクリートの階段に座って、仕事が終わり、友人と壜ビールを飲みながらお喋りする人たちがいた。やがて、犬を連れて自転車に乗った仲間がやってきて、さらに賑やかになった。
 タンクトップが走っていく。Tシャツが腕を組み、花模様のワンピースの若いママは、ベビーカーを押している。革ジャンで、ばっちり決めている若者もいた。中年で貧しそうな身なりの男性は、ゴミ箱に捨てられた缶を集めていた。恋人同士は寄り添い、老人夫婦は手を繋いでいる。ゆっくりと暮れていく夏の黄昏は、こんな人たちを平等に優しく包んでいた。
 池に上がる噴水は角度を変え、高さを変えて変化する空の色に染まっていた。
 カフェの空き座席には、体格の良い中年婦人の一団が座った。同じホテルの泊まり客なのだろう。白いパンツに色鮮やかなブラウスで、少し訛りのある英語であり、オーストラリア人かも知れない。どの国でも、婦人たちはお喋りが大好きだと感じた。池端会議は終わることなく続いていた。ドラえもんに頼んで、テーブルの下に翻訳付き盗聴器を仕掛けたい気がした。
 事件などからは遠い、退屈なほどゆっくり流れる時間に身を任せている心地良さ。じっと本を読む人、パソコンを打つ人など、いろいろだった。まだまだ時間はたっぷりある。八時になっても遠くの屋根や樹木の向こうには太陽の光が残っているのだった。
 茜色の空が水面に映り、噴水は水上の音楽を奏でている。九時になって、ようやく陽が沈み、岸辺に座る人たちや犬、そしてビール瓶も黒いシルエットになっていった。水面は美しい濃いブルーである。恋人たちの時間は、これからなのかもしれない。旅人は部屋に戻り、寝るのはもったいないので窓からの夜景をスケッチした。

 

 翌朝、カーテンの隙間から覗いてみると、四時ごろなのに、もう朝が始まっているようだった。池の周りを早朝ランニングする人も、ちらほら見える。ホテルの前のタクシー乗り場には、車が並び始めた。早い出発なのだろう。
 黄昏どきと違って、不透明な空気が立ち込め、池の畔の朝の散歩は気持ちが良い。犬を連れた品の良い老婦人に、きのうの白鳥の卵の場所辺りで出会った。
〈犬の名前は、なんと言うの〉
〈ヘンリーです。毎日散歩しています〉
と、きちんとレインコートのような服を着て、身嗜みが良い。独り暮らしなのだろうか。窓辺には花やモビールの飾ってある素敵な家のほうへ歩いていった。逆回りしてきたIさん夫妻にも、おはようと声を掛け合った。
 もう少し行くと、ジベタリアンの高校生らしい五人組が池の畔でお喋りをしていた。ハローと挨拶して、きのうは大勢の人で賑わっていたカフェの横を通った。いまは誰もいない。ジョギングする人が追い越して行くばかりだった。鴨たちはスイスイと朝のお散歩のよう、白鳥は見えない。まだ眠っているようだ。
 旅先の池の畔の光景は、どこを切り取っても心に残っている。