武山高之

 

木下蘭子『エッセイ集-吉野川-』感想

 

『吉野川』拝読しました。いくつかを選んで、感想を書きます。

 

引き揚げの地「吉野川」

カバーの嘉清さんの写した鉄橋の写真が懐かしいですね。

なにやら、見たことがある風景のように思います。吉野川中流域の阿波池田の辺りではないですか。

以前は故郷の高知に帰る時、この辺りを土讃線や国道でよく通りました。「大歩危小歩危の『まんなか』で一泊した」とありますが、この横も幾度か通り過ぎたことがあります。最近は東京から飛行機を使うので、通らなくなりました。

蘭子さんのご両親の故郷は阿波池田から少し吉野川に沿って下った辺りの山間の土地ですね。「お祖父さんの代まで、養蚕をしていた」ようですが、私の家も高知県で蚕種業をしておりました。桑畑は仁淀川の河川敷とその横の山の傾斜地にありました。このような所は蚕の病気の発生が少ないと聞いています。多分、吉野川も同じでしょう。大体の雰囲気はわかります。

お父さんは、大阪高等工業学校のご卒業のようですが、私の父も大正十四年の機械工学科の卒業です。蘭子さんのお父さんより二年先輩でしょうか。陸軍の飛行機技師をしておりました。

「瀋陽では洋式の社宅に住んでいた」とありますが、私も戦争が始まる前に、平壌でペチカとオンドルのある洋館の官舎に住んでいました。運良く戦前に帰国したので、引揚者の苦労はありませんでした。

私も、父母と祖父母のことをエッセイに纏めましたが、資料が揃わず苦労しました。蘭子さんは、引き揚げを経験され、資料も少なかったのではないかと思いますが、よく調べておられます。

ご両親の姿を書き残すことは、何よりもご両親に対する供養になると思います。家族の歴史とご両親の故郷訪問旅行記を組み合わせたことにより、このエッセイは成功していると思いました。

 

追悼「友が病んで」

 親友の病気に心を痛める文章や亡くなった友への追悼文は短くても、心に響くものです。そんな文章がたくさん集められています。中でも、「友が病んで」がいいと思いました。歳をとると、追悼文が溜まってくるのは悲しいことです。

 

旅日記 「イギリス旅日記」

 2000年秋、家内と一緒に、蘭子さんと似たようなコースを旅しました。あちこちで、蘭子さんと同じような感動を得ました。その中から一つ。「コッツウォルズの美しい小川」と書いておられますが、私も同感です。

イギリス・ラファエル前派の画家、ミレーの油絵『オフィーリア』を見たことがあります。澄み切った小川をオフィーリアが歌をうたいながら流れてゆく絵です。ミレーはコッツウォルズを流れる美しい小川のような風景の中で、画想を練ったのではないかと思いました。シェークスピアもまた、こんな風景の中でデンマークを舞台とした『ハムレット』の構想を練ったのではないでしょうか。

 

旅日記 「ドイツ寸描」

 アイソマーズでご一緒したドイツの旅。書く人により目線が違うので、面白く感じました。化学屋とその奥さま方という違った集団の組み合わせですが、みな、それぞれに楽しんでいたようですね。

 

くらしの中で 「マンスリー」

 我々の歳になると、いずこの家庭も奥さんの方が忙しそうですね。奥様方の活動は多岐にわたっています。しかも、楽しいこと、教養を高めるものばかり。統計的にみると、奥さんは夫の死後、10年ほど一人で過ごすことになるようですが、これだけ活動的ならば安心です。

思い出したのは、井伊直之『さして重要でない一日』という日常生活を上手に書いた小説です。私はその題名を借用し、『さして重要でない一日、一週間、一ヶ月、この一年』というエッセイを書いたことがありますが、蘭子さんに較べると、もっと怠惰なものになりました。

 

くらしの中で 「真面目亭主とアバウト女房」

定年退職後の理系の夫・太郎とその妻・百子の毎日が実に巧みに書かれています。同じような環境にある私は、「我が家とはここが違う。ここは同じ」など比較して、楽しく読みました。

性格的には、太郎と違っていると自分では思っている私ですが、日常の行動は、意外にも同じ所が多いようです。健康維持にはサプリメントではなく、タイムスケジュールが決まった体操とウォーキング。テレビはNHK。国会中継・社会問題・環境問題・教育問題。私も同じです。これは勉強好きというよりは、趣味に属します。現役のときの生活の延長でもあります。政治問題で、裏情報を得たいときは、民放や週刊誌の方が無責任な情報があってためになります。

 運転についての指摘。速度違反と違反駐車をしないのは、長年組織内人間として過ごしてきた者の特性ではないでしょうか。私もいたしません。そんなに、注意しているのですが、私も一旦停止を怠り、ゴールドカードではなくなりました。

 

百子はこのような太郎の指摘を結構楽しんでいるのではないでしょうか。全てが小説のネタになり、楽しく聞いている姿が浮かんできます。

 太郎さん! もっともっと指摘をされては如何ですか。日本ペンクラブ会員の百子さんにヒット作を物する機会を与えて下さい。第一回本屋大賞を受賞した小川洋子『博士の愛した数式』は理系の夫との家庭内の会話がもとになっているに違いないと勝手に思っています。