ローレライ??

 

武山さんからローレライの写真を送られてきたとき、どう見てもローレライが見えなかったので困惑した。バカな、といわれても仕方がないのだが、ハイネ作詞、フリードリッヒ シルチャー作曲のローレライの歌からの知識しかなかったので、ローレライとは少女の名前で、列車がローレライの近くを通るといわれたときも、その銅像か石造が見えるはずだと思い込んでいたのであったが、車窓からも見えなかった。もちろんここがライン川を通行する船にとっての難所であることは知っていた。謎はいくつかの資料を読んでやっと解けた。

 

ローレライ(LoreleyまたはLorelei)とはライン川の東岸壁に突っ立っている小さな岩山のことで、ライン地方の方言の"lureln"(つぶやくの意味)とケルト語の"ley"()が繋がってできた名前だという。つぶやくというのは近くにあった滝の音がこの岩で反響して増幅されるからだという説と、ローレライ自体が”lurking rock” (待ち伏せしている岩)という意味だという説があるようだ。

Lorelei Rock on the Rhine

 

ローレライに関する伝説や詩や絵画が、ハイネの詩も含めていくつも生まれた。船乗りは、サイレンのようでもあり、女性の叫ぶような音に気を取られて急流でしっかり舵を取れなくなるという伝説がある。最後のほうに差し入れたのは20世紀初頭に描かれたローレライ岩にちなんだ絵で、性に飢え身をもてあましている妖精達と、彼女らに気を取られて舵を取れなくなり難破した船が描かれている。

 

ライン川はこのローレライ岩山のために川幅が狭まり非常な急流になるため、ライン川の最も危険な場所となり船の事故が絶えなかった。写真で見るとローレライ岩のところでライン川は急に曲がっているから、上から見ただけでは見えないような大きな渦をふくむ複雑な水の流れになっているであろうことが想像できる(水力学的考察)。川の右側に防波堤のようなものが見えるのは、大きな渦ができるのを防ぎ水の流れを岸壁に平行にするように作られたものではないだろうか。これがないと大きな渦ができて、昇り下りの船が共に渦のなかに巻き込まれるのかも知れないと思われる。

 

(我々の乗った列車はローレライ岩山の対岸を通った。しかし車窓からは、私の席は通路の反対側であったためもあり、川の水もほとんど見えず、岩肌がいくつか見えただけで、こまかいことは分からなかった。列車の速度も速く、このあたりをあっという間に過ぎてしまった。)

 

上の写真でローレライ岩山の対岸に小さな町が見えるが、ここは19世紀にこのあたりで難破した船乗りを助ける救助隊の住む村として栄えたという。現在は信号がついていて、交互にどちらかの一方通行しかできないようにしてある。

 

ところで、ローレライが女性の名前だというのも間違いではないのである。というのはハイネのローレライの詩にちなんで銅像や石像がいくつか作られ、それらはローレライとよばれている。その一つはニューヨークにもあるが、なぜアメリカにあるかについては、19世紀ドイツのめざましい科学の発達とはうらはらに、思想的には保守的で、それでいてユダヤ人排斥の始まっていた1840年代のドイツでハイネの詩にちなんで製作された石像がドイツに設置できなく、アメリカに持ってくることになった。

 

Lorelei-Statue

 

 

Lorelei
Heinrich Heine

I know not if there is a reason
Why I am so sad at heart.
A legend of bygone ages
Haunts me and will not depart.

The air is cool under nightfall.
The calm Rhine courses its way.
The peak of the mountain is sparkling
With evening's final ray.

The fairest of maidens is sitting
Unwittingly wondrous up there,
Her golden jewels are shining,
She's combing her golden hair.

The comb she holds is golden,
She sings a song as well
Whose melody binds an enthralling
And overpowering spell.

In his little boat, the boatman
Is seized with a savage woe,
He'd rather look up at the mountain
Than down at the rocks below.

I know the waves will devour
The boatman and boat as one;
And this by her song's sheer power
Fair Lorelei has done.


The Original:

Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,
Daß ich so traurig bin;
Ein Märchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.

Die Luft ist kühl, und es dunkelt,
Und ruhig fließt der Rhein;
Der Gipfel des Berges funkelt
In Abendsonnenschein.

Die schönste Jungfrau sitzet
Dort oben wunderbar,
Ihr goldenes Geschmeide blitzet,
Sie kämmt ihr goldenes Haar.

Sie kämmt es mit goldenem Kamme
Und singt ein Lied dabei;
Das hat eine wundersame,
Gewaltige Melodei.

Den Schiffer im kleinen Schiffe
Ergreift es mit wildem Weh;
Er schaut nicht die Felsenriffe,
Er schaut nur hinauf in die Höh'.

Ich glaube, die Wellen verschlingen
Am Ende Schiffer und Kahn;
Und das hat mit ihrem Singen
Die Lorelei getan.

 

 

Poynter-Cave-of-the-Storm-Nymphs

Edward Poynter Cave of the Storm Nymphs (1903)

 

 

余談

ハイネはユダイヤ人の家庭に生まれたが、彼自身キリスト教の洗礼をうけた。ハイネは叔父の学資によりゲッチンゲン、ベルリンなどの大学で法律を学んだが、法律を好きにはなれず、作家の道をえらんだ。ローレライの詩の「なじかは知らねど心わびて」というのは、祖先にそむいて自分だけがキリスト教に転宗したことからくる寂しさである、という解説を読んだことがある。ハイネの詩の基ついて、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワグナー、シルチャーほか多数の作曲家によって歌曲が作られた。しかし、1840年代から始まった自由思想取締りの検閲にかかり、ドイツでは執筆活動ができず、フランスに亡命した。パリでの出版には成功したが、常にドイツ語で書き、協力者がフランス語に書き換えて、出版した。丁度そのころ、ワグナーがメンデルスゾーンがユダヤ人であることを理由に排斥をする論文を書いていた。

 

カール マルクスもパリで活躍しており、ハイネはマルクスとも交友があったが、マルクスがドイツ政府の要請でフランスからも追放されてからは疎遠になった。マルクスの徹底した唯物主義にハイネは反発したためであった。

 

20世紀になって、ローレライの詩と歌はハイネはユダイヤ人の家庭に生まれたということでナチ党が好まず禁止しようとしたが、ドイツでもあまりに有名になり過ぎていて、不可能であった。苦肉の策として、作者不明ということで許したという。

 

いっぽうイスラエルでは、ハイネがユダヤ教をすてた背任者として、あまり好まれぬという。

 

現代では、ドュッセルドルフ大学はHHU、つまりハインリヒハイネ大学、という名前に書き換えられている。(ドュッセルドルフにも行ったのだが気がつかなかった)

 

ローレライとハイネを通して屈折したドイツ文化の一面を知った思いである。

 

中村省一郎

8-21-2010